限度を超えてはならない事

誰にも、止めようがないほど、パワハラ、セクハラ、暴力問題が、過去に遡り、浮上している。
人が聞いて、常識の範囲とは、どこまでをいうのかわからない。
60代を超えた人達からすれば、
「日常茶飯事」だという。
親も、血を流すか、骨でも折れていない限り、
騒ぎはしない。
もちろん、当事者である本人が、訴えず、
監督や先生に殴られて、擦り傷おっても、
こっそり、「赤チン」塗って終わりにした。
しかし、私も身に覚えはあるが、
抵抗できずに、浴びせられた暴言や、暴力は、
やられた方は、一生忘れはしない。
やった方は、本人も家族も周りも、何事も問題にしないので、多少は、やりすぎた感があっても、「あー良かった!」と、やり過ごす。
しかし、実は、やった方も、しっかり覚えているのである。
都合の悪いことは、相手が忘れてくれてるだろうと思い、決して、謝罪は一生しない。
訴えて来た時には、「時効ですね」と、
しゃあしゃあという。
自分の行なった行為は、自分に返って来るし、答えは、社会や、法律が決めるのであって、
自分が許すものでもない。
そんなことも、あんなことも、
今、生かされていることに感謝すれば、
歳を重ねながら、最後には、皆同じところに、辿り着くのである。
人を虐待したり、傷つけたり、陥れたりして、
笑って死ねないことだけは確かである。