樹木希林さんを偲ぶ

「彼は、透明感があって、魂が、とても美しい人」と、樹木希林さんは、言い切った。
この世で出会った、唯一無二の人だったのか。
3000年待ったんだもの、この世で結ばれた証を、残したかったのか。
なんとも、うらやましい話である。
私も、長く、別居をして来たが、帰りは待たず、何度も、二人で、離婚届は並んで、書いたのだが、その度に、親が病気になったり、亡くなったりと、提出するタイミングが、なかっただけ。
もう、いいかと、歳のせいにして、ほったらかし状態の怠惰なだけとは、えらい違い。
夫婦とは妙なるもので、出会った頃は、二人は若く、ピッカピッカの若者で、あばたもえくぼではあったが、年を重ねていくうちに、アバタはアバタに見えてくるし、同じスピードで、タイルは剥がれて、壊れて行く。
「うちのワイフは」が、「うちのオバハン」になり、今じゃ「バアさん」に成り果てる。
しかし、お互い否定はできず、結婚生活50年クラスになると、顔も見ないし、返事もしない。
それでも、つつがなく、生活はできており、
相手が変わる様なことがあれば、一瞬で、
暮らしの質は落ちて行く。
添い遂げた夫婦を見ていると、不思議な位、
阿吽の呼吸。
波乱万丈のドラマにしかできなかった、
樹木希林さんの夫婦生活。
さらっと答えて、知的な笑顔の向こう側に、
どれほどの苦しみと、悲しみと、寂しさがあったか、計り知れない。
何気ない会話や、当たり前の習慣を、唯一無二のひとと、望んではいなかったけれど、一瞬でも味わえればと、思われたかもしれない。
私も、また、寝たきりになった元夫のために、せっせと、食事を運んでいる元妻の姿も、人から見れば不思議な光景であろうと思うが、この広い地球の中で、袖すり合うも他生の縁があって、家族と認定された以上は、好き嫌いだけでは、片付けられない責任がある様な気がする。
夫婦という縛りの中でこそ、体験する、
生老病死も、人生のひとつの形である。
思いを貫かれた、樹木希林さんに、
「お疲れ様でした」