依存症からの自立

タバコ、お酒、ギャンブル、買い物、食べ物
など、物依存症は、色々であるが、
一番、厄介なのは、人間依存症である。
親が、子に、子が、親に、夫が妻に、妻が夫に、身内だけではなく、他人同士にも依存症は起こる。
基本的に大好きなんだろうと思う。
その物を、その人を、好きになった原因は、
それぞれ原因もあり、背景もあると思う。
自分の環境のなかで、すぐ手の届く範囲にあり、世の中に出回っているので、悪意には思わないし、悪意ではない。
自分の意思で、選択しているわけで、依存していることすら気がつかないでいる。
誰の中にも、依存性はあり、知りながら、バランスをとって、付かず離れずにいる人もいる。
こんな人は、完全なる依存症ではないが、
一度、何かで、崩れるとしがみつく傾向はある。
好きと依存は紙一重で、好きな物、好きな人、好きな環境に囲まれていると、安心と安全を確保したように思える。
それが、幸せの価値観になってゆく。
しかし、それを失ってしまった時に、
不安と恐怖に苛まれ、なんとしてでも、取り戻したいと思い、同じものを探し求めて行く。
自分以外の物や人に、価値観を置くと、
自分を喪失してゆく。
来るもの拒まず、去る者追わずくらいの、やせ我慢は、必要である。
どこまでが、健全で、何処からが、疾病になるのか、精神のドクターにお任せするが、
できれば、その域には、行きたくないと思っている。
しかし、嬉しいことに、この依存症は、
上手く行けば、薬も飲まず、治癒できる可能性がある。
長年にわたっての、思い込みや、勘違いから、
解き放されれば、越えれるような気がする。
新しい物や、新しい出来事、そして新しい出会いがあれば、変化することに喜びがあり、
無が有になる感動に出会い、与える事の大切さを知れば、依存からの脱却の一歩かも知れない。
人間、誰の中にも潜んでいる依存性を、悪いものとせず、その傾向性を弾力運用して、
自分自身の自立へのステップに、変容させていくには、ゲーム感覚での闘いである。
ついつい、依存に手が伸びそうになれば、
「あかん、あかん」と、もう一人の自分が、
出て来てくれるかも知れない。
これも、また依存的考えかも?