意地悪に疎い。

「貴女は、人の分析はするのに、
人の意地悪には、疎いね」
と、姉に、よく言われる。
確かに、姉と、二人でいると、
「頭にくるわ!」
と、よく、先に怒っている。
私は、昔から、ストレートな性格なので、
自分の回路の中に、意地悪な言葉遣いや、
行為が、記憶野に、残っていない。
散々、お世話して、最後に、
「あっかんべー!」されたり、
「痴漢!」とか、叫ばれたりした時に、
「えっ!誰がー?」
と、気がつくパターンが、多いのは確かである。
知り合った早々、よほどの人でない限り、
疑ったりはしないし、奇異な格好をしていても、偏見がない。
私のところにくる人たちは、元々、困った人が多く、助けを求めてくるので、
先ずは、両手を広げて、受け止める。
訴えを聞いているうちに、何が、必要かを判断して、一緒に、出口を探し出す。
たかが、私のアドバイス程度で、解決するとは思っていないが、追い詰められている人にとっては、しばしの、休息には、なるかも知れないと、思っている。
少し、背中を押しただけでも、勇気が出て、
見事に走り出す人もいるが、間に合わなかった人もいる。
私自身も、もちろん、困ったこともあれば、心配事も、人と同じだけあるのだが、
自分のことには、無頓着になって、
意地悪されても、傷つけられても、
自然治癒力で、直してきたかも知れない。
大好きな数字7数、70歳まで生きれたら、
後は、いつ死んでもいいかなと、
私の死生観の中で、そう感じていたので、
最近は、やっと自分の後始末が、出来るほど、
余裕の時間がある。
こんなふうに、人生の中で、死ぬほどの苦しみや、悲しみに出会っても、必ず、静かなる時間が、誰にでも、訪れるのだが、
ある域を超えないと、雑音の聞こえない静謐な世界には、到達できないので、右往左往する。
走り抜いた足腰は、ガタがきて当たり前、
使い果たした脳が、退化して行くのも当たり前、歳を重ねて、たどり着いた先に、
優しい人が、私のそばにいてくれることが、
あったなら、世の中には、意地悪な人だけではなかったと、ホッとする時を味わえる。