煩悩を乗り越えて

嚥下障害により、食事が、口からの摂取困難となり、中部栄養カテーテル留置が、決定した。
世話をしてくださっていた看護師さんや、周りは、皆、口を揃えて、
「可哀想に!食べるのが楽しみの人なのに」
と、気の毒がる。
人間の当たり前の暮らしの中で、食事は、確かに、重要度は高い。
食事、排泄、入浴、睡眠は、人間が、空気を吸うように当たり前の行為である。
その中の一つでも、失うならば、命に関わる事にはなるが、その大切さは、そうなるまで、ありがたさが分からない。
グルメ志向の家系で、母親も、料理が上手く、
4人の子供達は、昭和生まれにしては、皆、
立派な体格である。
そんな家の三男坊の夫と、結婚した私も、
難しい食事に追われ、おかげさまで、料理は上達したように思う。
美味しいものを食べ続けて来た夫が、
もう再び、食事を、口にすることはないだろうと思うと、深く、考えさせられる。
病気で、本当は、食べることもできないはずではあるが、人間の本能である食欲が、脳の中で、叫んでいる。
食べさせれば、窒息死、食べなければ餓死、
あとは、医療的措置で、人工的に栄養素を、身体に送り込むしか、手の打ちようが無いと言われれば、選択肢は一つしかない。
苦しい選択を、決めかねている息子の為に、
深くうなづいて、承諾した夫が、食べたいだけの煩悩を乗り越えた一瞬を見せられた。
覚悟のできる父親の姿を、息子は、しっかりと
見つめていた。