60歳のぐち

「僕ら、60代は、中途半端ですわ」
と、今年還暦の男性が、呟いた。
一昔前なら、赤いちゃんちゃんこ来て、
「お爺ちゃん、おめでとう!」
おめでたくもないのに、もう、どうぞゆっくり、余生を送って、老人扱い。
しかし、今では、ユニクロのダウン着て、
若者と、老人の狭間状態。
「60代なぞ、まだまだひよっこ!」
と、上からは言われ、
「お父さん、まだまだ働いてよ!」
と、家族に言われる。
大学卒業してから、会社に入り、問題も起こさず、不倫もせず、粛々と勤め上げ、退職金も、満足とは言いがたいが、それなりに。
あとは年金暮らしで、満員電車に乗る苦労から、解き放されて、ささやかな趣味でもしながら
孫に、まごまごしながらの終活。
には、ならずの年代。
気がつけば、ハローワークに通っている自分がいる。
戦後、焼け野原の日本に生まれた人達は、不幸のようだが、日本の高度成長とともに育ち、
アメリカナイズされた新たなる社会の中で、
帯封ついた現金を、スーツの内ポケットに入れて、銀座や新地を朝まで、豪遊、小さな商店は、世界に羽ばたく会社に成長、定年退職の時には、会社に貢献した証と、夢のような退職金も授受された。
そんな人達の背中を見ながら、いずれは自分もそうなるかと思いきや、バブル崩壊、借金だらけの会社を引き継ぎ、今がある。
青色、吐息で、責任範囲の線引きにたどり着いて、一応、高齢者と呼ばれる歳になった途端、未曾有の少子高齢化で、社会保障が、改正され
「高齢者も、自立に向けて」
が、スローガンに、掲げられた。
「約束が違うやん!」
と、叫んでも、誰も聞いてはくれない。
IT企業の華々しい、若者たちが、億万長者になってゆく姿を、横目で見ながら、
時代の狭間にいる自分の人生を、考えている60代に、70代の私は、慰めの言葉もないのである。