枯れてゆく意味

数日前、小さなお花屋さんの店先にピンクのカサブランカが、無造作にバケツに入れられているのを見つけ、思わず三本ほど購入した。
昔から頂き物は別として、家に自然の庭もあったせいか、買ってまでお部屋にお花は飾る事はなかったのである。
ましてや、庭にもプランターにも、自分で植える趣味すらない。
樹も花も大好きではあるが、枯れて行く様が、気にくわない。
細長いガラスの花瓶にいけて、2、3日すると、
全ての蕾が、見事に大輪の花を咲かせたのである。
モノトーンの殺風景なお部屋が、一瞬で鮮やかなピンクに染まり、姿を消しても、暫くは気高き香りが長く漂っていた。
疲れた心を、数日間ではあったが、美しいカサブランカが癒してくれた。
季節ごとに咲く花は、いつまでも美しく咲いていてほしいと願うが、必ずいつかは枯れて美しさを失うのである。
しかし、枯れた後には立派な実がなる自然界の法則になっている。
種から葉が出て茎が伸び太陽と土からの養分を吸収し花が咲き枯れてゆく理由は、実を作るための作業だったとすれば、花は美しいだけのものではない。
人間の生い立ちを重ねてみれば、法則通り、老いて枯れてはいくが、意味があるはずである。
若い頃のエネルギーもなくなり、姿形も汚くなるが、きっと誰の中にも立派な実がなっているのだと思いたい。
この世に生かされた意味は、全ての人にあるとすれば、枯れてゆく悲しみも癒され安堵する。