誰が為に生きたい

「相変わらず、忙しそうやね!」
1ヶ月に一度会う友人と、お茶をした。
「何やわからへんけど、バタバタしてるわ!」
70歳はとっくに超えてるが、未だにボーイフレンドが常にいる。
ランチにディナーに事欠かない。
羨ましい話であるが、本人は不満気味。
出会いは食事から始まるのだが、本人が介護の資格を持っていることを知ると、俄然相手の目の色が変わるらしい。
勿論80歳を超えて、妻に先立たれた寂しい独居老人。
まもなく、お迎えが来るか、そうでなければ、家族から老人ホームに送り込まれる寸前状態。
一人暮らしの婆さんは家事には困らず、元気であれば、なんだかんだと自由を謳歌
そんな男と女、いえ、爺さんと婆さんが出会ったら、若いカップルのように元気なデートはいつまでも続かないのである。
今日は腰が痛い足が痛いと相手が言い出す。
何にもできないやもめ暮らしの高齢者を見たら、優しい元ヘルパーさんは職業柄、見て見ぬ振りはできないのである。
「食事でも作りましょうか?」
とうっかり言ったその日から、無料ヘルパーさんは、忙しくなるのです。
食事介助から入浴介助に進んで行く。
昔取った杵柄を発揮して、付き合ってるのか介護してるのかわからない状況になって来る。
「親の面倒も見ない娘や息子が出て来て、いろいろ言われたら言いなりになって、こっちのアドバイス全然聞かへんのよ!認知症になったんかしら?」
いつの間にか、財産狙いで家に入り込んで来た婆さんと疑われているらしい。
「年を取っても、人の役に立ちたい」
と、寂しい友人の優しさが、傷ついて行く。
生きて行くことに疲れていた相手の人は、誰かの優しさが欲しかっただけ。
美味しいディナーや、あの世に持っていけないお金など、意味のないことを熟知している。
長く生きた人生の中で、一番大切な事は、
「誰が為に生きる」
と知ったからである。
出来うるならば、時間の限られた老人達を、
そっと見守ってほしいと願っている。