何が足りないのでしょう

科学や経済は発達したが、人間の内部の問題は、二千年前から少しも進歩発展していない。
男女、親子、兄弟、姉妹問題でもめていない家庭を見たことがない。
親を敬い、兄弟とも仲良くし、不倫もせず、人間としての約束事は全て守っているのに、それなのに、関係が壊れて行くのは、
「何が足りないのでしょうか?」
と、訴える人がいる。
自分の立場でできる範囲のことは、全てしていると思い込んでいる人には言い難いが、
「自分の立場を出ることなく、自分の痛むことなしでは人を愛することはできない」
という答えになってしまう。
自分は正しく生きているという執着を手放さない限り、失うことは続いて行く。
口先だけの言い訳や、理由付けのごまかしは、
ばれて行くし、自分を捨てることなど実際にはできないのである。
不完全な者であると認めるしかないのである。
これでもかと言うほど、ベタベタに自分を甘やかし、許してきた私の奥深い心の底に、小さな棘が刺さっている。
時々、行き過ぎる私にチクチクと警笛を鳴らすが、聞く耳を持たない私がいる。
「またもや、やってしまったか」
と落胆はするが、相手や物のせいにして、許してしまう。
都合の良い時は相手に従い、都合の悪い時は、
「ちょっと失礼」では通らない。
同じ人間同士が、良き関係性を保つには、相手を見るのではなく、何を見ていけばいいかを考えなくてはならないのである。