サルヴァトーレ・フェラガモの靴

学生時代は、三宮の高架下に並ぶ靴屋さんに、
良くお世話になった。
考えれば本革の靴は、履いたことがなかったかもしれない。
一足1000円くらいで買えていた時代である。
年頃になって、ヒールを履いて仕事をし出した頃に出会ったのが、サルヴァトーレ・フェラガモの靴であった。
夢中になって見に行った憧れのオードリー・ヘップバーンが、銀幕の中で履いていた👠。
「こんなに華奢で、細い靴履かれへんかも」
不安でドキドキしながら、足を滑らせた途端、
その心配は吹き飛んだのである。
中は十分なスペースで足を包み込み、それでいて、身体まで凛とさせるほどの引き締め感があった。
それ以来のファンである。
世界で名だたるブランドなので、高価である。
普通の国産の靴が三足は買える代物である。
しかし、魔法のように、どれだけ歩いても、飛び跳ねても、疲れを感じささない優れものであった。
あれから、50年間、若い頃のピンヒールは姿を消したが、今も変わらず愛用し続けてきた。
現場職の仕事で、変形性股関節症を患い、
手術寸前まで行ったが、異物を入れる事に抵抗があり、マッサージとフェラガモの靴で、今に至っている。
「先生、スニーカーにされたらどうですか?」
と、何度も周りからは言われたが、私は頑なにこだわり続けてきた。
女性として生きてきた中で、悲しみや寂しさを、支えてくれた靴であった。
どんな時も、長い伝統を守り抜き、技術を磨き上げたフェラガモの靴を履くと、まっすぐ前を向いて、元気一杯で仕事に出かけられたのである。
最近は、日に日に足の痛みも応えるようになり、気がつけば、靴の底が剥がれて大きな穴が空いていた。
私の足の痛みの全てを、この靴が受け止めていた証のように、身代わりになっていたのかもしれない。
とうとうダメかと、諦め掛けていたら、
「三ノ宮の高架下に、上手な靴の修理屋があるから、持って行ってあげますよ」
と、友人に言われお願いした。
2足も頼んだので、日数もかかるだろうと思っていたら、お昼に出して夕方仕上がってきたのでびっくり。
修理に出すのも恥ずかしくて、憚られた靴が、
ピッカピッカになって、届いた。
友人曰く、足が悪い人の靴を頼まれたのでと、少し言葉を添えただけで、若い二人の職人さんが目を合わせ、
「靴がなければお困りでしょう。夕方までに頑張って仕上げますよ」
と言ってくださったと聞いたのである。
大切に履き続けてきた想いを受け止めてくださった優しさに、磨き上げたエナメルの靴を抱きしめて、涙が止まらなかったのである。
そして、若い職人魂に出会った日でもあった。