若い介護員。

「身体介助の中で、どの介助が得意ですか?」
そんな質問をした事がある。
「食事介助です」
「では、苦手な介助は?」
「オムツ交換?」顔を見合わせて、しんまいの介護員は答える。
彼らにとっては、食事介助は、命に関わる介護でもなく、利用者にとっても楽しいひと時となるので、そう答えたのである。
手が使えなかったり、食べる事を忘れた認知症の人達への食事介助は、非常に難しく、危険を伴っている事を、彼らはまだ知らない。
相手の顔色を見ながら、少量ずつを 口に入れ、よく噛み、喉仏あたりで「ゴックン」を見届けて、ゆっくりと話しかけながら、進めていく。
認知症の人は無表情の方が多く、喉が詰まっている事を見過ごす場合があり、気が付いた時には、窒息状態になっている。
その後は、一分一秒が、命とのせめぎ合いとなる。
人間の三大介助、食事、入浴、排泄を必要とする人達は、当然、オムツ状態である。
食べる=出る現象は、必然的に食事介助=排泄介助であり、ワンセット。
たくさん食べてくれた!はたくさん出るわけで、食べた分出なければ、今度は下がつまり、腸閉塞になり命を落とす。
明るい日差しの中で、若い介護員たちの笑い声が響き、静かな時間が流れる施設の暮らしの現場は、いつも危険と隣り合わせである。
「素晴らしい環境の中で、素敵な老後を過ごしませんか?」
の過剰広告とはかけ離れた老人施設の中では、命と向き合い、好きでも嫌いでも、何もできなくなった人達を守る為に、若い人達が一生懸命働いている。
時には、
「どうしても、排泄介助ができないので辞めます。」
と、訴えてくる介護員がいる。
私は、説得はせず、承諾する。
汚物を汚いもの、臭いものと感じるのは誰でも同じであるが、それを超える使命感が優先されなければ、自分が壊れて行くのである。
「また、やる気になったら、戻って来てね。」
若い人達の救いの手が、高齢者には必要である。
若い人達の魂も大切に育てなければならないのである。