大いなるミッションの始まり

「英語、無料で教えます」
近所の家の前に、こんな看板が出ていた。
中学生になって、生まれて初めて英語の授業があった。
私学だったので、文法の授業の他に、英会話の授業があり、アメリカ人の女性の先生が担当していたのは、珍しかったかも知れない。
今から思えば、結構なお歳だったとは思うが、
日本語は一切話さず、ニコリともしないで、
いきなり当てまくる怖い先生なので、皆、緊張していたように思う。
でも、私はそんな授業が大好きで、恥をかいても間違っていても、ハキハキと答えたので、
何故か、その怖いおばあさんの先生からは、
ひいきされて、ほとんど私のための英会話教室になった思い出がある。
なので、英語だけは勉強しょうと思い、英語を教えてくれるところを探していたら、
看板が目に入り、
「やったー!ラッキー!」
と、迷う事なくその家に飛び込んだのである。
優しそうな外国人の男性がニコニコして、
OKをしてくれて、大喜び!
親が聞いたらびっくりするような行動であるが、私には無関心の父親一人。
たとえ、英語を習いたいと言ったところで、願いは叶わない。
初めてのレッスン日に、ワクワクして行ったら、まずは小さな本を一冊手渡された。
無料の上に、本まで頂いて嬉しい!
表紙を開けると、
「NEW TESTAMENT」と書かれてあったが、
何のことか、よう分からん?まま、
外国人のおっちゃんが、相変わらずニコニコして、本を読みだしたのだがチンプンカンプン。
意味不明のままレッスンは終了。
「そのうち分かるわ」とアホな中学生の私は
その小さな本が、新約聖書だったことを知らなかったのである。
優しいニコニコした外国人のおっちゃんが、英語をタダで教えてくれて、帰りには美味しいお紅茶まで頂いて、本当のことがわかってからも、断れなかった愚かな私がいた。
おかげで、新約聖書の第1章アブラハムの子であるダビデの子、イエスキリストの系図は何故か、英語で覚えている。
と、言うことで、キリスト教の信者でもない私の英会話が、聖書から始まったことを誰も知らないし、言うはずもない。
でも、その数十年後、私が福祉の世界を、日本語で教える事になるとは、神様も知らなかったミッションである。