ささやかな忘年会

主婦ならば、大晦日の猫の手も借りたい日に、芦屋のフランス料理店、ムートンドールで、優雅なランチタイム。
もちろん、年はとっているが、皆独身である。
なので、お正月が来ようが、クリスマスが来ようが、どこ吹く風。
「孫が」「嫁が」そして「旦那が」の話は、一切ないのである。
もはや、私は70代、後の二人は60代なので、
残念ながら、色恋沙汰の話もない。
一昔前なら、すでに老後の真っ只中であるが、3人とも、仕事を持っているので、一般主婦的感覚は薄いかもしれない。
肝心な所に抜けてる感があるので、
「もう、残り少なくなった人生焦りますね。」といいながら、のんびりムード。
認知症の親を見てきたわりには、悲壮感もなく、今の所他人事。
60歳からの後10年、どう生きようかと悩んでる間はまだいいが、私は70歳から、どう死のうかと考えている。
若い人から見れば、どの婆さんも同じに見えるだろうが、10歳違いは大きいのです。
100歳から見れば、
「60、70は、まだまだひょっこ」らしい。
毛の抜けたひよっこ
「80、90で、そこそこ」らしい。
そこそこは、情けない。
「100まで来て、スタートライン」やて。
その頃には、自分にそっくりなクローン人間も製造できる時代かも知れないので、寿命という言葉は皆無になるだろう。
できれば、せめて30歳代くらいの時の、私のクローン人間を注文したいと望みたい。
迫り来るお正月の準備に走り回っている人たちは、決して来ない別世界の様な、静かなレストランの中で、私たちの笑い声が響き、
「お互い、よう頑張ったね」と思い合い、
安心と安堵の時間を過ごせたのである。