大切な人

「うん?」
と思ったのは、3ヶ月前。
お互い性格も似てるので、一年に3、4回位しか会わないが、30年以上の付き合いである。
女っぽくない私達は、昔から二人の会話は、
社会情勢や、政治の話が多く、世界で大きな事件や災害が起こると、長文のメールが来る。
そんな彼女のメールが途絶えた事に気付いた私は、変な胸騒ぎを感じたのである。
あれほど、長文メールだった返信メールが,三行で返って来る。
「やばいなー」
友人の域を超えたアプローチが始まった。
どんなにしっかりした人でも,年とともに変化する一瞬がある。
緩やかな階段、急な階段、人それぞれはあるが、落ちてゆく原因、きっかけが必ずある。
環境の変化、人の些細な言葉、体調の悪化、経済的な不安など、小さなきっかけから脳の誤作動が始まる。
その段階で食い止めねばならない。
「心配しないで。私は大丈夫。ほっといてほしい。」
突然、友人からこんな扱いを受けると、人は戸惑い、「もう知らんわ!」と怒り出す。
私は、すべての言葉は反対語だと思っているので、大いに心配しほってはおかないのである。
元々、自立して生きてきた人の方が、そうなるまでに人に相談したり甘えたりしないので、手遅れになる場合が多い。
いわゆる、いい意味でプライドのある人は、
人に与え続け、人から与えられることはない。
彼女は海外に精通した人で、若い人達が、
海外進出をする時には、人脈、お金、知識を惜しげもなく放出して、貢献してきた人物である。
海外での華やかな生活の中で、一人、また一人と日本人の知り合いが帰国し、自分も元気な間にと帰ってこられて、10年の月日が過ぎたのである。
彼女にとって、金満主義に変わり果てていた日本の生活は、悲しみでしかなかったのである。
ピュアな人だけに、高齢になっても気丈に生きてきたが、過酷な日々であったと思う。
「いつでも、そばにいるよ」のメールに、
「ありがとう」の短いメールが返ってきた。