脳をコントロールする

60歳前後、定かではないが、そのあたりで、細胞分裂するように、もう一人の年齢不詳の私に遭遇した。
と言うように、心療内科に行けば、精神科に回されるかもしれない話である。
何かを話せば、音としては発しないが、口から出る言葉が、重なり合いビブラートしている。
鏡に向かってはいるが姿は見えず、しかし、確実に体温を感じる肉体が存在している。
思考も決定ボタンも、一人ではない私が確定を押す。
バスルームの中で、年老いた骨ばった手足が、湯船の中で浮遊している。
触るとザラザラではないが、水滴を弾くほどのツルツルではない。
眼を閉じると、温かな母の子宮の中にいた記憶が蘇る。
「死に場所としては良いかも」
冷え切った脱衣所から、45度に設定した高温に飛び込めば、血圧変動は起こりうる。
ゆらゆらとした波が、もう一人の私を見つける為に、脳の深部に誘ってゆく。
真っ暗な宇宙空間のようなドームの中に、
おかっぱ頭の振袖を着た女の子が浮かび上がる。
眼を凝らして見れば、顔が左半分しかなく、
右の顔は欠損している。
こんなに怖い絵面が、私の脳の中に存在していることの方が恐ろしい。
記憶と未来が、交錯する次元の中で、現実世界の疲れを浄化してゆく。
少し濃いめのコーヒーを飲みながら、いつもの私がスライドしながら、リセットされる。
痛みとの戦いの肉体の老化は間違うことなく、進められてはいるが、一度も使ったことのなかった脳の一部が、覚醒しはじめた。
60歳を越えなければ、開くことのないステージに、新しい風が吹いている。
不快感ではないこの聖域の中で、もう一人の私が生み出されている。
死なない知性をコントロールして行かねばならない年齢に到達した。