小さな避難所

地震直後、家のすぐ近くにある自衛隊の総監部から、何十機ものヘリコプターが、神戸方向に戦隊を組んで飛んで行ったことを、今でも鮮明に覚えている。
友人のご両親や息子さんの悲報が、落ち着いた頃に次々と聞こえて来た。
今日は、沢山の人達の命日である。
24年前のあの日は、まだ伊丹に住んでいたので、瓦や壁が落ちた程度で、比較的被害を免れたのである。
電気もガスも水道もすぐに復旧して、生活するには困らなかった。
不自由している人たちにすぐ連絡を取り、とりあえず小さな民間避難所に、家は早変わりした。
普段なら、20分ほどで来れる道のりを、4時間かけてたどり着き、温かなお風呂と、お食事を食べて頂いた。
当時、築50年はたつ一軒家で、かなり家もお庭も広くはあったが、オシャレでも機能的でもなかったが、この時だけは被災された人達の為に役に立ったのである。
その後、住まいは変わっても、家は色々な事に活用されたのである。
有事の時に、少しでも人々を救える事にと、備蓄用食料品から、衛生用品、電気が止まっても使えるストーブ、ありがたい事に、水は井戸水が揃っていたので、災害、震災用の受け皿として、24年間維持して来たのである。
幸い、阪神間には大きな震災は、南海トラフなどを心配されてはいたが、今日の日までは無事である。
しかし、あれから24年が経ち、私の家も、私自身も70歳、ずいぶん歳を重ねて高齢になりました。
「もはやここまで」
と、今年、「小さな避難所」を閉めることを決断したのである。
家にも人間にも経済的にも限界があり、
若い元気な有志達を募る気持ちもありましたが、庵のようなこんな場所に、夢ある人たちを引き止めるにはあまりに過酷と判断。
沢山の老若男女の涙と笑いが行き交ったリビングに、数々の思い出がある。
この家にも、私にも、「長い間ご苦労様」と、
心の扉を、静かに閉めたのである。