見た目の判断

「あんなおとなしい、静かな人が」
と、事件や事故が起こると、知人がインタビューに、こんな風に答えている。
私は意外なことがあっても、あまりびっくりはしない。
人は皆、見たまんまではない。
発する言葉も、反対言葉が多い。
長い人生の中で、数多くの人たちに関わって来たが、最初に会った時の直感が、最近はよく当たるようになった。
自分が精神の病気で、日常生活、人間関係が不安定であると、訴えて来る人達は病気ではないかも知れない。
自分をよく分析して、何とか、この状況から脱したい、救われたいと思っているから、当たり前のことである。
また、普段から職場でムッツリで、ほたえない、笑わない人も
「何よ、あの人!付き合い悪いわ!おかしいんと違う?」
と言われてる人は、おかしくないのである。
そんなこと言う、貴方がおかしい。
日本の社会では、右へ倣え、みんなと一緒が常識化されている未熟な思考がはびこっている。
たとえ、最初に変人と烙印を押されていても、
その人が何かを成し遂げたり、成功を収めると
、認識を変え、一変する人も気持ち悪い。
私の知り合いで、どこの職場に行っても緊張してもの言えず、村八分になる人がいる。
「トラウマがあり、人間関係上手くいかず、
自分の人生こんなもんです。」
と、顕著に反省される。
ある日、車の事故直後の現場で、混乱した道路の真ん中で、行き交う車を誘導する人がいた。
まさにその人であった。
「人生こんなもん」と言われた言葉に、こちらが頭が下がる思いである。
小さな子供の中に、破天荒な若者の中に、背中の曲がった年寄りの中にも、必ず、一点の勇気が潜んでいる事を信じたい。
人間、私も含めて見た目とは違うもう一人の自分がいる。