錦織君はいっぱいいる。

本当に、錦織君のテニスの試合は、疲れる。
手に汗どころか、冷や汗が出る。
わざとやってるのかと思うほど、最初はもうあかん?かしらと思わせる。
子供時代のビデオを見ると、おとなしく、無表情、「世界の錦織」になるとは、全くもって、想像がつかない。
テニスをしていなければ、ちょっといじめにあいそうなタイプにも見える。
名だたる世界の強豪プロテニスプレイヤー達に
やられてもやられてもへこたれず、勝つとやんややんやと騒ぎ、負けたらボロクソに言うマスコミにもめげず、粛々と登りつめた最高峰のステージ。
試合に勝っても負けても、インタビューでは、
まずは相手を讃え、次の試合を頑張るのみと、淡々と答える。
「お母さんに感謝です!」
なんて幼稚な言葉は、一度も聞いたことがない。
そんな錦織君が大好きで、試合はドキドキソワソワで、じっとして見ていられず、途中でお風呂に入ってしまう時がある。
高齢者にとっては、血圧が上がって危険な試合である。
小さい時から親元を離れ、単身海外でのテニス漬けの毎日。
寂しいなんて言ってたら、振り落とされる厳しい世界。
外人の選手とは、大人と子供ほどの身体的なハンディを背負い、肉体がバリバリと破壊されて行く。
「技術とメンタルを磨けば勝てますよ」
と、偉そうに言う人がいるが、
「あんた、できるもんなら、やってみぃ!」
と言いたい。
集団でやるスポーツなら、誰かがカバーしてくれるが、テニスは長丁場になると、一人で5時間でも戦わねばならない。
気が遠のいていく疲れの中で、後戻りもできず、相手のペースに、心が風に舞う木の葉のようになってトーンダウンして行く。
どうにもならない自分の歯がゆさと怒りを、ラケットにぶつけて、エネルギーを分散する。
「ラケットを掘り投げて、壊すなんて!」
と批判する人もいるが、
「ラケットの一本や二本どうって事ないわ!」
と、私は、いつの間にか錦織君のお母さんに成り替わる。
世の中には、一見普通に見える「錦織君」が、沢山いる。
やったー!と思ったら、ミスをする。
勝てると思えないひ弱さが見え隠れする。
決して、安心して見れる選手ではない。
突然、彗星の如く現れたわけではない。
私達の知らない過酷な時間を積み上げて、
今がある。
手足が悲鳴をあげても、テニスをし続ける姿に感動する。
「試合の度に学び、強くなっていく自分があります」
と、まだ幼さの残る笑顔で答える。
日本の中の「錦織君達」に、勇気を与えてくれる若者に感謝である。