我がストレス。

お金はたまらず、ストレスはしっかり貯めれる
のである。
私にとっては、どちらも自分の持ち物であり、
大切である。
自分で管理が出来ずに、他人に流出する様になれば迷惑な話になる。
お金はまだしも、私のストレスの受け皿になった人は、たまったもんじゃない。
これが、虐待の始まりかも。
人のお金も、人のストレスも、意味もなく受け取るものでもなく、乗ったら最後ろくな事にならないのである。
長い人生の中で、なるべく密度の濃い人間関係を避けて、深く付き合っては来なかったはずなのに、ストレスだけは深い付き合いになった。
常に、私の身近に常駐し、誰よりも真実の私を知っている。
若い頃は、そんなストレスに苛まれ、医者にも通い、薬も味方にして戦い続けて来た。
さすが、屈強な私のストレス、私が頑張れば頑張るほど、悠々と挑んで来るのである。
どちらもへこたれず、長い付き合いである。
長く付き合って行くうちに、敵を愛せという気持ちが芽生え始めた。
私のストレスは、外からのものでないかもと、気付いたのである。
内なる私の中に、ストレスの因子は歴然と居座っており、共存共栄して来た様に思いだしたのである。
そんな風に感じた瞬間から、我がストレスが愛おしく、私を守る為に不可欠なものと認識したのである。
何かが起こるたびに、アホな心はまともに受け止めて、傷だらけになって行く。
そうならない様に、一旦処理工場に運ばれ、検査と分析がなされる過程がストレスである。
振り返れば、次々にストレスには襲われるが、必ず、一つの案件のストレスは続かず、完結する。
周りは、私のことを精神力の強い人と、レッテルを貼るが、世の中、そんな人は一人もいない。
強いてゆえば、フィジカルは強いほうかもしれない。
無理はきく、無茶をする、歳を忘れた行動に走っても、なかなか死なないのである。
もう死ぬかなと思えるほどになっていても、ここまで生きて来れたのは、精神力でもなんでもなく、親からもらったこの肉体の強さかな?
頭の動きは鈍く、関節は衰え、
「よいしょ!どっこいしょ!」
と、自分に、掛け声かけての毎日。
お金は少なく、ストレス多くても、ここまで生きて来れた見本がある。
ストレスも身のうち、大切に扱って行こうと、
変な決意をしているのである。