釈迦に説法

「先生に、こんな風に注意すると、気分を害されるので、言いにくいのですが・・・」
と言われることがある。
「いえいえ、私が分からないことは教えてください」
と答えるが、長い付き合いの人には、どうにも顔に出てしまっているのだろう。
ばれちゃってるようである。
たわいない一般論に関しては、
「へぇー、そうなんや?」
と、話はスムーズに流れて行くが、私の個人的な核心に触れると、物言わぬ人になるらしい。
つまりは、怒ってるようだ!
だいたい、昔から、リーダーシップ的な要素もあり、分からないことはすぐ調べ、出来ない事も、一生懸命努力するタイプであった。
幼い頃から、
「これなーに?」
「何で、こうなるの?」
と、聞く相手もいない環境の中で育ったせいか
自問自答してきたので、 傲慢で、タチが悪い。
人の分析も自分の分析もするような仕事でもあるので、
「自分の事は、よーわかっとります!」
と、ますます憎たらしい。
私のそばにいる生徒さんは、皆、少なからず、
上に立つ管理者や、講師や先生になる人達なので、とっくに私を追い越し、社会で活躍している。
私の健康面には、思いやりもあって、
「ちょっと、良いですか?」
と、恐る恐る言ってくる。
分かっていても、踵を返すがごとく、
「了解しました!」
と、言えず、相手の言う通りで、肯定も否定もできず、葛藤している姿が、怒っているになるのである。
物理的な問題が、違う方向に進み出す。
言い訳から、善悪の問題にまで発展して、
修復不可能になり、言った方も、聴いた方も
落とし所は一つしかない。
年上で、一応先生と呼ばれる人のほうが、
カテキンや、カフェインの入った物は、しばらくやめてみる。体調が良くなれば嬉しい」
と、折れる事である。
問題解決に向けて、まばたき一瞬で、決意せねばならないと、教えてきたのは私である。
人が聞けば、たわいない話であるが、どちらにとっても、重要度が高い。
人間学とは、こんな小さなことから学ぶ学問である。