貧乏に慣れる

ありがたい事に、幼い頃から、食べることもできない貧しさを経験したことがなかった。
私学に行きたいと言っても、通れば、知らないうちに親は授業料を払い、四人の子供の教育費に関して、文句を言われたこともない。
まずいや美味しいやの文句を言う事はあっても、食事が貧しいと感じたこともない。
着るものも、母の手作りではあったが、破れたものを着せられた覚えもない。
と言う調子で、成人するまで、生活費を考えた事もないアホなお嬢であった。
そんな女性が、結婚したら大変である。
夫の給料だけで、全てを賄う家計に戸惑う。
分からんこのバカは、
「これでは、お洋服一枚買えませんが?」
と、夫に値上げ要求。
恥から始まった結婚生活の中で、人が、家族が
つつがなく暮らす術を身につけ、やりくりしながら、一人前になって行く。
ところが、数十年が過ぎ、親が死んだり、夫が早死にしたりと、そんな事態になって、親や夫の相続が半端ない金額で、億万長者になった話が流れてくる。
思わぬ突然の財産に、堅実な生活も一変する。
子供は独立、夫も亡くなり、財布の紐は緩み、
優雅な暮らしが始まるのである。
億と積まれたお金は、ちょっとやそっとではなくならない。
気前よく生きてたら、ある時、通帳見てびっくり。
そりゃ、使えばなくなるし、ひょっとして100歳まで生きる可能性もある。
羨ましかった人達が、どんどんおかしくなって行く。
私のように、親も長生き、夫も資産を残さなかった人は幸いである。
自分の仕事が、歳のせいで徐々に減り、不安が見通せ、貧乏に馴染んで生きてきたので、困らないしこたえない。
給料から年金に変わっても、ずーっと厳しい世の中なので、驚きはしない。
「お金がないから、欲しいものが買えません」
と、卑屈にはならない。
何故なら、欲しいのは物だけではなく、
知恵と工夫で、豊かに暮せる。
長生きするためには、貧乏には慣れておくべきである。