脳の中から消えてゆく言葉

中学生の頃、眼に映る物を見るたびに、英語に変換して覚えていた記憶がある。
あれから60年が経ち、最近、その時と同じ様に、英語ではなく日本語で言えるかを試している。
なんだか情けない話ではあるが、人の名前や物の名前の名詞、四文字熟語がおもいだせないのである。
友人達も、「そんなん前からやわー」と、笑って済ましているが、私は気になるのである。
左脳で物を認識、理解して、右脳に記憶として残す作業は、私が意識を持って、
「最近、たるんどる!」と指示するわけにもいかない。
「ただの健忘症ヤン、歳、歳」
と、なんだか曖昧な答えにごまかされ、都合よく安心している。
今のところ、生年月日、住所、携帯番号、暗証番号はよどみなく言える。
これが言えなくなったら、すでに遅しである。
しかし、突然、すこんと名詞が消えるのである。
しかも、古くから使われているどおーってことのない名詞が、脳の中から忽然と消える。
例えば、「花瓶」普段から花をいけないので忘れたは通用しない。
思い出すまで、冷や汗ものであった。
後は人の名前、芸能人とはお付き合いがないが、「美空ひばり」は死んでも忘れないが、
有名な人でも、思い出せないときがある。
諦めて、時間が経った頃、名前が浮かんで来て、ホッとする。
医者も学者も、科学的に立証されていないものには、はっきり言えず、
「大丈夫でしょう」としか答えない。
私は、大丈夫ではないと思っている。
自分の脳に関しては、確実に低下していることを認識しているので、脳の中を、張り巡らされたレールが、いつ脱線するのか、錆びてしまうのかを予測している。
認知症」という、厄介な病気に手立ては、今の所ないが、最後に残る五感を磨いておくしかないのである。
皆んなで、体操したり、歌を唄ったり、食事会をしてるだけで、活性化するとは思えない。
「健康な肉体に健康な心が宿る」
は、若い時の話で、私達高齢者は、
最後まで、「健康な頭」が残ってほしいと、
願っている。