聞いてもらえない悲しみ

仕事上、僭越ながら、妙齢のご婦人に、ご忠告とアドバイスをさせて頂くことがある。
世間から見れば、日のうちどころもないように見えるが、一歩踏み込めば、本人にも、周辺にも、どうにもならないことがおありのようである。
相談に自ら来られるので、エビデンスに沿って、説明申し上げるのだが、どうも納得いかない様子である。
特に、60代を越えたご婦人方は、長い経験と、現場を踏んで来られているので、本来の意味と制度を伝えても、
「だけど、私の時はこうだった」
「しかし、それはおかしい」
とか、一言、一言にいちゃもんが付く。
本来はかくあるべきとか、法律的にはこうあるべきとかの話は、聞く耳持たずである、
「そんなこと分かってます!だから、他に手立てはないのかと聞いてますんや!」
と、言われる。
自分の都合だけが優先されて、相手の都合は考えようとしないので、どこまでも妥協案が出ないのである。
最後には、致し方なく、一番ゆるい妥協案を飲まれて引き下がる。
「なんとか、分かってもらえたので、大事に至らず間に合ったかな」
と、安堵して、しばらく経って様子を聞くと、
問題はもっと複雑になっている。
「言ってた通り、そうされたんですよね?」
「はあ、言いはった通りにしたけど、余計に悪くなりましたわ!」
と言われるので、びっくりして調べると、
全くもって、自分の考えを入れて、指示通りには動いてなかったので、結局は間にあわずの体たらくになっていることは多い。
「ふむふむ、なるほど、その通り」
と言う人も、その場しのぎの綺麗事。
違うラインに乗っかって、消えてゆく。
深い井戸の底から、
「助けてー!」
と叫ぶので、こちらからの手は差し伸べるが、
自分の手で、しっかりと掴んで来なければ、
救うことはできないのである。
長く身に付いた、思い込みや執着を切り離し、
思い切って、飛び込んで来れなければ、人生は変えられないかもしれない。
高齢者の相談は、残念な結果になることの方が、多いのである。