死ぬまで、働こう

「おめでとうございます!」
それほど、嬉しくはないが、ホッとする。
なんとか、無事勤め上げての40年。
何故だか、ニコニコと送り出してくれる部下たち。
明日からは、あの身動き取れない、ともすれば痴漢にされるかも知れない通勤電車に乗らなくても済む。
家族のための社会保障も、責任を果たした。
明日からの、思いっきりの時間を堪能できる。
自動的に入ってくる年金。
サラリーマン人生、本人にとっては感慨深い。
退職の夜、
「お父さん、長い間ご苦労様でした!」
妻や子供や孫からの、ささやかな宴。
しかし、こんな喜びも数ヶ月。
待ち望んでいた自由は、不自由に変容する。
退職金もそこそこあり、妻もご機嫌、子供や孫にも散財して、ふと気がつくと
「これだけで、何歳まで生きるの?」
働かなくても入ってくる年金は、現役時代の半分もない。
頭の中の電卓は、どこまでもマイナスを示す。
「こんな年金で、やってかれへんわ!」
「おじいちゃん、まだ、ブラブラしてんの?」
そろそろ聞こえてくる不協和音。
退職したら、趣味を生かしたカルチャー通いに、家族旅行などとんでも無く、ハローワークに通うことになっていく。
「70歳まで、あと5年は、働ける!」
と、褌を締め直して、おじいちゃんは、また一稼ぎするのである。
金庫には金塊も現ナマもないので、致し方なしである。
降下して行く飛行機を、上昇気流に乗せるのは至難の技。
「これからは、自由になる!」
と望んだように、もう誰が為でもなく、自分の為のプランニングを立て直して欲しい。
お金を優先するのではなく、自分が心地よくできる仕事を、今から探してほしい。
人間は「事に仕える」為に生かされてきたとすれば、死ぬまで仕事をする事は、間違いではない。
残された時間、本当にやりたかった事を思い出せば、その場所は必ずあると思う。
「働かない事」が、自由ではないかも知れない。