高齢者の覚悟

みんなが、ボーッと生きてるわけではありません。

介護保険が始まった時から、世間からは、高齢者、後期高齢者などと分別されたり、介護度の数字を示されたり、あまり気分はいいものではありません。

誰もが迎える人生の終末期に来ていることは、
自分が一番知っております。

春夏秋冬、季節が巡ってくるたびに、
「今年で、見納めかな?」
と、誰もが心の片隅にあり、桜見物やバスツアーに便乗して、足や腰やらが痛むけど出かけるのです。

なんだか、動きは悪いけれど、ヨボヨボと買い物に行き、ゴソゴソと家事を行い、誰にも迷惑かけたくないので、精一杯の努力はしております。

そんな姿を見て、家族は心配してるのか、邪魔になるのか、老人ホームのパンフレットを持って来たり、地域のケアマネージャーが、見せかけだけの訪問をしてくるのです。

此処へ来て、「少子高齢化」に寄る経済の負担を、国は申しますが、とっくの昔にわかっていたことで、手を打たなかったのは誰ですか?

「焼け野原の日本から、世界の経済大国にまでした立役者は、誰だったでしょう。」
と、こんな言い訳をする人はいないのです。

何故なら、若い人や子供達のためなら、
「今からでも、何でもやります!」
という精神は、充分残っているのです。

そして、「死ぬ覚悟は出来ております」

狭間の中で、迷い、葛藤しながらも、
最後の戦いに備えて、心の準備をしているだけなのです。

日々、老いて行く中で、
ボーッとしてるように見えるけど、魂のどこかで、みんなの無事を祈り続けているのです。