綺麗な人

最近は、綺麗な人が多い。
女性に生まれてきたからには、誰もが綺麗に産まれたいと願ったはずである。
しかしながら、私も含めてそうは問屋が卸さないのである。

「なんで、私をこんな顔に産んだの?!」
と親を攻めたとて、両親の顔を見れば諦めざるを得ないのである。
親戚を見渡しても、絶世の美女はいない家系ではある。

たまに、慰めるつもりで、
「人間は、顔じゃないよ」
と言われると、余計に落ち込む。

今の時代は、こっそりプチ整形しても、簡単修正しても誰にも気付かれず、
「しばらく会わないうちに綺麗になりはったね」と言われて、誤魔化しはできる。

先日亡くなられた樹木希林さんは、美人女優で売り出されず、20代の頃から老け役で、30代には老婆の役をされていたと聞く。
しかし、歳を重ねる度に素の彼女が現れて、
「この人、こんなに綺麗かったんやわ」と感じていた。

しっかりと作り上げてきた自分史の中で、裏打ちされた思考や生き方が、その人の美意識や美学に表れる。
顔が綺麗とか、スタイルが良いとかが見えなくなるほど、美しい存在となる。

そう考えれば、綺麗でなくても、
「美しい人」と言われるチャンスは、まだ残っているかもしれない。

間に合えば嬉しい。