公務員の言語

「限りなく、隠蔽に近い」
尼崎高校で起こった体罰事件での、教育委員会の報告である。

明らかに、確実に、
「隠蔽でした」
と、なぜ言わない。

いつも、感じることだが、公務員の失態は、
曖昧に、ベールがかかったがごとくの言語を使うのは何故なのか?

人が死んでしまってる事件であっても、
「遺憾に思う」
で、終わる。
それはあんたの感情であって、相手に対する謝罪の言葉ではない。

現代では通用しないが、昔なら、即刻、切腹である。
武士という公務員の、自らの責任の取り方であった。

子供達を守る立場であり、指導する立場の人間が、無抵抗の人間に、暴力を振るうと言う恐ろしい行為。
体罰」ではなく、暴行であり、犯罪であると思う。

相手より上の立場である事が、支配を生み、お金が権力を生む。
どこから、そうなって行ったのか分からないが、
「日本の常識、世界の非常識」
と言われる所以である。

日本にはお金と言う紙がいて、その紙さえあれば、なんでもできると思っている人達が多い。
世界には、「紙のお金」ではない、
神が、存在しているのである。