命のハンドリング

自分の周りで、近しい人が自殺という行為で、
亡くなられた人達がいる。
まだ数年しか経っておらず、悲しみは癒えることはない。

悲報を知って衝撃を受けるが、日にちが経って行くと、かならず、
「何故に、自らの命をたったのか?」
に行き着くのである。

お金に追い詰められた人。
病気の不安に苛まれた人。
一人ぼっちの寂しさに耐えられなかった人。

理由はそれぞれではあるが、生きることに絶望し、未来が見えてこなかった人達の心模様は、
私たちの日常からは、計り知れない。

どうあれ、お金と命は引き換えにはならないが、その事により、大切な人に迷惑がかかる事を避けるための、最後の愛だったかも知れない。

命に関わる病気ではないが、日常の中で不都合が起こりだし、人間関係が希薄になり、行動が制限されていく非日常に切り替えられなかった苦しみからの離脱。

訳あって家族もなく、友人や知り合いもなく、寂しさゆえに、ビジネス的な人間関係を構築し
、心を埋めるための薬依存症。

私の知る限り、生前、どの人も素直で純粋な人達であった。
心の深いところに、ガラス細工のように壊れやすい神経が横たわっている。

私のような図太い神経でも、許容量を上回るほどの波に襲われたら、一人で、命をハンドリングすることは難しい。

全ての人間に備わっている「意識の目」をしっかりと開けて、生きていかねばならない。