芦屋のドンファン

今から思えば、10歳違うくらいだったのに、
あの頃は、えらく、おっちゃんに見えた。
まだ生きてるのかな?
それとも死んでる?
と、少々失礼なことを、考えてしまう。
生きていたとしても、かなりのおじいちゃん。
未だ、JR芦屋が、現在の様に開発されていなかった頃、国鉄と呼ばれ、ひょっとしたら、白い煙の機関車さえ、通っていたかもしれない。
芦屋大丸もなければ、しゃれたビルも、マンションもなく、小さな田舎の駅前には、ごちゃごちゃとしたお店と古びた商店街「市場」があり、夜になると、細い道に隠れる様に、数人はいればいっぱいになる、ちょっと小洒落たスタンドがチラチラあった。
現在、堂々とJRに君臨してる、「ホテル竹園
」の前身は、元、肉屋さんであり、小さな旅館であった。
しかし、春夏の高校野球の甲子園ボールの時は、全国から、未来のプロ野球選手が、泊まりに来る。
それどころか、巨人の選手たちの常宿でも、あったのです。
今では、ホテルの玄関前に、阪神巨人戦が開幕する日は、スマホを持ったファンが、一目見ようと、押しかける。
いつの間に、野球の選手がこんなに有名になったのか知らないが、私達が、大学生だった頃、
2、3人で、芦屋の行きつけのレストランや、パブの様な飲み屋に行くと、試合が終わった巨人の選手たちが必ず、来ていた。
今の様に文春も、店の前で隠れてはいないので、すっかり、仲良くなって、楽しんだ。
巨人は、芦屋には、よく来ていたので、どこで、誰が居ても、珍しくもなかったのである。
阪神の選手は、地元でもあったし、やんちゃな選手が多く、甲子園あたりの、スタンドやクラブで遊んで居たらしく、時々、浮いた噂を、
選手と遊んだ友人たちから、生の情報が入って来て、学食で、キャーキャー言いながら、聞いていた。
長い月日と、年月に流されて、選手も女の子も、すっかり、いにしえの思い出となり、お互いに忘れてしまっただろうけれど、今なら、大変な騒ぎになって、流行りの不倫騒動である
「ネタは、たくさん持ってますよー」と、言っても、じいさん、ばあさんになった今では、
誰も興味すらないし、記事は売れない。
と言う様に、当時、芦屋のドンファンは、
山ほどいたのである。
ひょっとしたら、日本の中のイタリア男は、
芦屋族だったかも。
大企業のボンボン、関西財閥のおっちゃん、
芸能人、野球の選手が、どこの家で、麻雀しているのか分かるのは、皆、堂々と、健全に遊んでいたからだと思う。
自称ドンファンにとっては、良き時代であった