失敗も「若気の至り」で済む話

昔、

「今日は雨が降るよ」

雲一つない、青空なのに、

祖母が、呟いていた。

 

信じられなくて、

傘も、持たずに出かけたら、

「土砂降りの雨」

なんで、当たるのか不思議であった。

 

祖母と、同じ歳になった、今、

謎は解けたのである、

朝、目覚めた時から、

「今日は、低気圧」と、

持病の脚が、教えてくれる。

 

雨が降る時は、

疼くような「鈍痛」

雪が降るほど、寒い日は、

刺すような「刺痛」

 

悪化したのかと、

心配していると、

温かな日差しの日は、

ケロリとして、動けるのである。

 

どちらにしても、

原因は、

「加齢」「高齢」「運動不足」

治療の術無しである。

 

一昔前、

「ミニスカート」全盛期、

流行に遅れる事なく、

「ギリギリガールファッション」で、

若者達は、街に繰り出す。

 

歳を重ねて、

若い女性達の、

はち切れんばかりの「健康美」に、

「若き日の我が姿」を、

投影すれば、優しさが溢れてくる。

 

人生の中で、

お金を積んでも買えないものがある。

「過ぎ去った時間」と、

「変え難い若さ」である。

 

若さゆえの宝物、

若さゆえの行動、

大らかに、自由に、生き抜いてと、

願ってる。

多少の失敗も「若気の至り」で、

済む話である。

 

「元、若者達」は、

外野席から、

若者達を、応援する役目が、

まだ、残されているのである。

 

憧れの「老衰死」は、遠のいて

朝、見上げれば、

中途半端な空が、

広がっている。

 

天気予報は、

「晴れマーク」だが、

雪がチラついても、

おかしくないほどの曇り空。

 

雪が怖くて、

出かけられない年になり、

ウイルス感染が怖くて、

外食も控える年になり、

海外旅行など、皆無になった。

 

「ボーッと、生きてんじゃないよ!」と、

言われても、仕方無し、

今日に至るまでの、何十年、

怖いのは、

地震、雷、火事、親父」の、

古い時代背景で、過ごしてきた。

 

想定外の、

「100歳寿命」

嬉しくもあるが、苦しくもあり、

高齢者の「悲哀」も、身体の「痛み」も、

味わっている。

 

樹木が、朽ちてゆくような、

憧れの、

「老衰死」は、遠のいて、

ここから先が、「茨の道」

 

壊れ始めた、脳の動き、

痛み始めた、身体の動き、

年金だけでは、追いつかない生活に、

「安心、安全」な、老後など、

探しても、無いのである。

 

「生き方、死に方」が

難しくなった時代、

昔のように、

家族に囲まれた「老後」はない。

 

独居老人の、

「自己責任」に「自己決定」

人生最後の、挑戦に、

「もうひと頑張り!」と、

覚悟の日々を、過ごしている。

 

 

 

 

 

「様子見社会」の日本

「保証社会」の、

欧米と違って、

「ギリギリ」まで、

「様子見社会」の日本は、

ずいぶん対策に、違いがある。

 

誰にも、想定できない

曖昧な「ギリギリ」基準、

有事の時に、

「決定権」を持ち、

「執行権」を、実行できる人の、

感情論に、委ねるのは、

ナンセンスとしか言えない。

 

「責任」の回避の為に、

「責任」を果たそうとする人が、

日本には、いなくなった。

 

「医師」であるからこそ、

「医療」では、命を救えぬと、

「決断」した、

アフガニスタンで、人道支援された

中村医師、

 

紛争から逃げてきた難民を、

任務外ではあったが、

人道的に、

命を救う「決断」した、

緒方高等弁務官

 

責任を果たす為に、

命を優先した、

「聖なる決断」をされた事を、

日本人として、

決して、忘れてはならない。

 

腐敗した政治家達が、

大企業と、談合する。

選挙のためなら、なりふり構わず、

偽宗教と、結託する。

 

凍える、寒波の中に、

10時間も、列車に閉じ込めたまま、

決断しなかった人達は、

「誰の事を考えていたのか」を、

教えてほしい。

 

「国民ファースト」と、

提唱するトップリーダーの中で、

一度でも、

誰かを、救った決断をされたか、

知りたいと、願っている。

 

 

 

 

 

「物騒な世の中」

情報社会になった、

メリットは、大きい。

しかし、

「強盗殺人」にまで、

発展するデメリットも、大きい。

 

「顔認証」を、

登録するだけで、

個人情報が、知らない人に、

知られてしまうと言う。

 

そうなると、

ブログのつぶやきから、

個人の背景が、見えてくる。

 

打ち込んだ言葉、

たった一度の、コメントも、

消したつもりが、

決して、消えない。

 

便利な世の中になったけど、

「物騒な」世の中になった、

家族以外知らない、

「タンス貯金」に、高級品。

 

おかげさまで、

「うちにはないから、大丈夫!」

と、安心はしてられない。

 

独居老人、

高齢者家族、

子供がいても、孫がいても、

堂々と、

真正面から、襲ってくれば、

ひとたまりもない。

 

世界で、

一番安心な国と言われていた、

「日本社会」

とは、もはや言えないほど、

事件や事故が、勃発している。

 

「良き人生」

「強い運命」と、言われていても、

「一瞬の隙」が、命を奪う。

 

そこそこの資産、

恵まれた家族、

「幸せの象徴」も、

混迷の時代になって、

「幸せの基準」が、変容してゆく。

 

 

 

「遅れた国」の「遅れたリーダー」の「遅れた判断」

騙し討ちのような、

10年ぶりの「寒波」に、

翻弄された非日常、

 

有事の時に、

対策の不備が、露呈する、

「平和の観念」が、

危険予測を、希薄にする。

 

惨事が起こってからでは、

大切なものが、失われて、

謝罪では済まないのである。

 

為体の「トップダウン」で、

国や企業の質は、問われるが、

未曾有の混迷の時代に、

一人の人間によって、

国までが、消えてゆく場合もある。

 

コロナパンデミック

悲惨な侵略戦争

世界的な経済悪化、

救いようのない、案件に、

「ストレスを抱えた国」となった。

 

間もなく、

コロナ感染症法上が、

2類から5類の位置付けになる。

決定したのは、

医療の専門家でもない、

「ど素人」の、政治家達である。

 

出たとこ勝負など、

決して出来ない、

医療体制を、度外視して、

国民の、

「自己責任」として、ほりだした。

 

「遅れた国」の、

「遅れたリーダー」の、

「遅れた判断」が、

これまでの、現状を振り返れば

「お見事!」とは、

決して言えない、結果である。

 

そんな事も

あんな事も

国民は、「知っている」

 

日本人の気質の、

「甘受」能力と、

「統一」能力が、

バランスをとって、

国民が、維持している状況である。

 

 

 

 

身体の天守閣「脳」の誤作動。

朝、目を覚ますと、

「降り積もった雪」で、

別世界のような、街に変わっている。

 

「台風」と「寒波」が、

連なってくると、

恐ろしい「暴風雪」となる。

 

音もなく、

「チラチラ」と、粉雪舞う風景は、

美しくて、感慨深いが、

最近の、

熱さ、寒さは「気狂い沙汰」。

 

冬には、

山間部に、雪が降るのは当たり前、

身動き取れない「ドカ雪」に、

地元の人も、「びっくり!」と言う。

 

「雪が降る」

絵画のような美学の世界は、

一変して、

車の事故は多発して、

列車は停まり、

雪の重みで、家が潰れるほどの、

「災害枠」の一つになった。

 

心まで、

凍り付きそうな時代の中で、

「お金はないわ」

「エネルギーは不足してるわ」

「風邪ではなく、コロナに罹る」

 

たたみ込むような「不幸」に、

逃げ場もなく、

ストレスだけが溜まって行く。

 

心身のバランスを取る、

身体の天守閣「脳」の誤作動。

まるで、壊れた水道管、

神経を平常に保つ、

セロトニン」まで、枯渇する。

 

油の切れたロボットみたいに、

「ギシギシ」と、音がして、

「痛みの神経」が、

全身に拡大してゆく。

 

そんな時は、

「脳神経内科」で、

不足を補う薬を貰えば、

世の中も、風景も、

穏やかに見えてくるから不思議である。

 

地球の回転に合わせて、

脳の「神経伝達物質」が、

静かに、回り出すのである。

 

 

 

 

 

 

 

「降車するなら自己責任!」と、言われたら

連日の寒波、

列車の中で、

10時間「監禁状態」

現代の日本では、

「耳を疑う報道」がされている。

 

私なら、

「意識不明」で、倒れるか、

その前、「脱出」するか、

どちらかである。

 

飛行機の中の、アクシデントなら、

脱出は、不可能であるが、

地続きで、歩けるなら、

窓やドアさえ開けば、逃げ出すだろう、

 

何十キロ歩くなら、考えるが、

車両一台分くらいの距離で、

「駅の明かり」が見える場所で、

立ち往生。

5時間でも、気が遠くなる話。

 

現に、

不調を訴えた人たちは、

救急車が来て、

さっさと、救い出されたと聞く。

 

一人の人が、

列車から出ることができるなら、

元気な若者が、

高齢者や子供の手をひいてでも、

助け合って、いけるだろう、

 

肝心な、

情報提供はないのに、

「勝手に降車するなら、自己責任!」と、

アナウンスが、あったと言う。

 

「責任を取れ」とか、

「自己責任です」と言う言葉を、

国民が、危険な目に遭ってる時に、

言うべき言葉ではない。

 

危機管理の対策もせず、

上層部の判断を無視して、

それぞれの列車の責任者が、

「雪の中を、歩いてもらう事に、

躊躇した」と、聞いている。

 

燃え盛る火事の中、

津波が来る、嵐の中、

一刻も早く、先導して、

安全、安心な場所に、誘導するのが、

使命である。

 

乗客に、

「降車したら、自己責任ですよ!」

と、言う前に、

列車の責任者が、

「責任を果たす」ために、

動かねばならなかったのである。

 

「閉じ込められていた人たち」の、

極限の気持ちを、考えれば、

誤って済む問題ではないのである。