ブルーワーカー時代を経て今がある。

ブルーの襟ではなかったが、ユニフォームのある現場職を、40代から経験した。
まだ日本に、今程海外のブランドが入ってこなかった時代に、アパレルの貿易の会社に勤め、ファッションの華やかさと虚飾の世界を経験。
世界と繋がる職種から、当時は、まだ閉鎖的な福祉の世界に入った訳は、曖昧なきっかけでありました。
夫の母も私の母も、この時代の女性では珍しく女医であったので、病を抱えた人達や障害を持った人達は、遠い存在ではなかったのですが、
近くて簡単で、人助け?位の軽さで入ったので、私の甘さを打ちのめされる結果となりました。
売り上げ重視の物販とは違い、人の命の境界線に関わる現場は、想像を超える壮絶な場所でありました。
専門学校を出た若い人たちの精神と技術に、ど素人のおばさんは立ち往生。
お小遣い稼ぎに入ったとは決して言えず、その動機が問われる世界に、襟を正して向き合おうと決意したのは、悲しみや苦しみを乗り越えて、生きようとしている人達に出会ったからかも知れません。
資格優先のこの世界で、若い人達に出遅れた分、現場の中で、高い技術を学習し、必要な資格を取得し、気が付いた時には、教育する立場になっていました。
高校生や大学生の前で、教壇に立った時、私はブルーワーカーとしての現場経験がなければ、自信を持って、本当の事を伝えられなかったと思う。
ただ、私の人間学は専門的な知識や技術以外の、ふらふら寄り道したり、枠をはみ出したりした人生が役に立っているのかも知れません。
瞬き一瞬で生き方を変えた事で、私は心豊かな人生になりました。