弁護士と医師と私とのコラボ

私は、悩み事は聞くが本当に助けられるのは
専門家である。
どの機関に、どの人に繋げれば救われるのかを
見極めるのが、私の仕事である。
老若男女、ほとんどの人は、最初から肝心の事は言わない。
言えないのです。
身体の事、お金の事、人間関係の事、どの相談から始まっても、必ずこの3セットである。
長い月日、胸の奥深くしまい込み、絡んだ糸は
そう簡単には、紐解く事はできないのである。
少し短くなっても、細くなっても、命を取り止めるために、大手術が必要な場合もあるが、
私は、まずは温める方法を取る場合が多い。
手がつけられないほどの団子状になった部分は、切り取って弁護士の先生に預け、傷んではいるが、修復のできる糸は医者に任すことにしている。
時折、錯覚に陥った有資格者が、自分が助けれると勘違いして、相談者を抱きかかえたまま、長く放置して悪化、間に合わないケースが非常に多い。
特に高齢者は、社会から離脱し、弱者となって翻弄されて行く。
福祉という枠組みの中で、相談できる人達が、市役所の窓口であったり、ケアマネジャーであったり、社会福祉士などであるため、秘めたる問題は、決して解決は出来ないのである。
今や、有資格者は山ほどいるが、人間としての常識、見極める知識があり、どこにつなげるかの判断能力に長けている人は少ない。
この国の法律を知る高い能力を持つ弁護士と、命の源に触れる高度なテクニックを持つ医師とのコラボレーションによって、私は本人の側で、通訳のようなことをして来たと思う。
慰めや綺麗事ではごまかせないほどの問題と、
まだ間に合う時間がある間に、力になりたいと願っているのです。
貴重な命の愚かなつなぎ目になってはいけないし、人間として天から認証を受けれる資格が必要なのかもしれません。