差別と区別

昔から、外国人と、偶然、必然もあって、
知り合いが多い。
若い頃から、肌の色や目の色などを気にする観念が、私には、無かったようである。
むしろ、言語が違い、常識が違い、生活習慣が違う事に、興味と憧れがあった。
特に中国人の方々とは、仕事の関係もあり、
日本にいる華僑と言われる富裕層の人達には、可愛がってもらった。
中国の女性からは、
「貴女、本当は中国人じゃないの?」
と言われたり、
男性からは、大事にされて、色々、プレゼントをもらった覚えがある。
そうかと思えば、韓国人の占い師に、
「貴女の前世は、百済の姫」とか言われて、
眉唾ものだと分かっていても、嬉しくて、
韓国人の方と知り合うたびに、
「私の先祖は、韓国人です」みたいな顔して、堂々と、付き合ってきた。
欧米人の中には、優秀なアングロサクソンの血が流れているので、どう見積もっても、
頭脳明晰、容姿端麗、全くもって太刀打ちは出来ないが、結構、大雑把で、寛容な人が多く、
「東洋人好き」を、利用して、チョコンと、
輪の中に入っていた。
生まれ出づる国も、家族も、自分では選べないけれど、同じ地球の中では、たまたま、私は日本人、貴女は韓国人であっただけ。
場所が違い、源である人種の区別だけである。
それぞれの国の歴史の中、時代の中で、
違う国の人達と、出会えた事が奇跡だと思ってきた。
差別から始まる、戦争の時代に、敵味方でなくて、良かったと思う。
中国の人からは、長い歴史から来る大地のような、根強さを学び、韓国の人からは、先祖と年寄りを尊ぶ精神性を学び、欧米の人からは、
傲慢にならない為の、人間のマナーを学ぶ事ができる。
果てしない宇宙に、奇跡のように浮かんでいる小さな星の地球に、
「人間同士、産まれてきた事が、嬉しい!」
と思えば、差別は無くなるかも知れない。