時代の寵児達

私の実家は、関西では有名な甲南大学系列の甲南高校、中学の生徒たちの通学路に位置していた。
その頃では珍しい、黒ではない洗練された紺色の詰襟の制服が、端正な顔立ちをより一層、際立たせていた。
戦後生まれのアメリカナイズされつつあった、真っ只中の関西財閥や大企業の御曹司が、教養と帝王学を学ぶための学校であった。
他にも、数々私学の学校は出来ていたが、巷では、だんとつのおぼっちゃま学校であった。
いずれは手にする地位、名誉、お金を持ち合わせた少年達を、ちょっと大人のお姉様方が、ほっとくわけはないのである。
阪神間の女子高生達は、アイドルのように電車の中や学校間際で待ち伏せ状態である。
純粋培養で育った少年達はいとも簡単に、キラキラと輝いている少女達の蜘蛛の糸にかかるのである。
その相乗効果もあって、スポーツに、音楽に、アートに、遊びにとメキメキと、頭角を現し
親や先生方の思惑とは少し違っただろうが、経営者の息子達は、時代の寵児になって行ったのである。
とりわけ、一年に一度三ノ宮の国際会館で開催された甲南の音楽祭は、当時のジャニーズを凌ぐほど、少女達を動員したのである。
もちろん、私も漏れることなくライブに行ったが、ラッキーにも一番人気のグループに知り合いがいたので、特別席で観れたのである。
どの少年も、華やかな学生時代を謳歌して、
60年近くの年月が過ぎた今、日本の中では押しも押されぬ起業家になられているのである。
「〇〇君!」とは、親しげには声もかけられない。
どちらもじいさん、ばあさんになって、お互い誰だかわからない状態である。
誰と誰が付き合って、やんちゃしてた頃を知ってる人間には会いたくないかも知れないけれど、崖っぷちのギリギリボーイであったからこそ、今の成功があったと思う。
その中の甲南ボーイが経営する大きな飲食業の一軒である芦屋の喫茶店で、良き時代を元返しながら、このブログを打っているのである。