私の主治医を選ぶ

今日は心療内科の診察日である。
人の相談事をしていると、いつの間にか、自分自身にストレスが溜まり、数年前より、お世話になっている。
少し高めの声で、かなりの早口で話され、見た目はかなりクールな感じのドクターである。
しかし、こちらの不安や質問には、いらないことは言わず、医学的に的確に答えてくださる。
そして、最後には必ず、
「誰でも、皆んな、そうですよ。」と、安心の言葉も忘れない。
歳を重ねると、若い頃は無縁だった医療は、生活に欠かせない存在となる。
足腰痛いと整形外科、歩くとドキドキ心臓内科、血圧変動循環器科、かすみや目眩は眼科など
きりがないが、答えは一つ。
「老化です」との事。
そんな言葉に半分納得、半分否定が高齢者。
朝から満員の病院に、日課の様に日参する。
長寿国日本も、行くなとは言えず、莫大な医療費に悲鳴をあげて、次々に制度を変えて行く。
今年からは、今までの様に、好きな病院、近い病院には勝手に行けず、費用も加算される。
入院も、救急車で運ばれるか、重度でなければ受け付けず。
それ以外の方は、どうぞ、在宅でかかりつけの主治医を選び、診てもらってくださいとの事。
私自身も、40年程、信頼の置けるドクターに家族共々、身体を全て預けていました。
「よっしゃ!大丈夫や!」の先生の魔法の言葉で、大病もする事なく、ここまで無事にこれた様な気がします。
さあ、これからが本格的に死ぬまで、厄介になれると思っていたら、先生も高齢のため退官。
忘れてました!
先生は私より年上だった事を。
家族とも離れ、伴侶に先立たれ、友人の数も減った独居老人にとって、必要な人間関係は、信頼できる弁護士と医者。
確かに、見取りまでの道のりを支えてくださる主治医を探すのは、結婚相手を探すより難しいかも知れない。
私の中では、精神的な部分を支えてもらえる心療内科のドクターを、主治医に選びたいと決めているが、相手にも選ぶ権利はある。