優しさの連鎖

「どんなに頑張っても、元には戻らず、
人の支援を受けて、暮らしを維持するしかありません」
まるで、死の宣告のように、言われた方は、
傷つく。
それでも、私は、言わねばならない。
寿命があっても、自立ができなければ、
暮らしは無理である。
朝起きて、食事、掃除、買い物など、
家事をこなすだけでも大変なことで、
自分の事が、最低限出来たとしても、
生活のベースがシステムのように、成り立ち、
その上で、楽しみな出来事を味わう。
自分で着替える。食べれる、話せる、入浴できる、排泄できるだけでは、「暮らし」を、
しているとは言えない。
行為を行なうために、その目的のために、
人は、思考し、行動する。
「チン!」と、音がしたら出来てるわけではない。
点が線になって、継続され、昨日の失敗を、
今日の成功に結びつけて行く事が、一人で
出来なくなったら、素直に委ねよう。
若い時は、少し前なら、こんな事出来たのに、
ばかりを考えていたら、虚しく、切なくなるだけである。
強情にならず、意地を張らず、
「お願いします」「ありがとう」さえ、
言えたら、心地よい暮らしができる。
そんな謙虚な年寄りに出会ったら、
気持ちよく、助けてあげてほしい。
優しさの連鎖を願いたい。