汚れた背中を見て育つ

「親の背中など見たくもない」
と、思っている人も少なからずいるはず。
私もその一人ではあった。
もはや亡くなったので罪はないが、
幼い頃から、親とはいえ耳を塞ぎ、目を覆いたいと感じた事もあった。
親子という縛りの中では、抵抗できずに見て見ぬ振りをして育ったが、何十年経った今でも心の片隅に残っている事は確かである。
何かを守るために、親も必死で生きねばならなかった事は理解出来るが、振り向かない親に悲しい想いが一杯あった。
自分の背中を見せて生きてきた親も、立派な老人になってるかは疑問である。
私もまた、そのグループに入る年齢にはなっているが、汚れた背中など見せれたものじゃない。
一代で、名を残しお金を残した人物が、
「自分の時代にすべき事は終えたから、あとは良きに計らえ」
では無いはず。
「孫もでき、立派な後継者もできたので、後はお迎えが来るだけですよ!ハッハッハッ」
と綺麗事言ってた人ほど、死に際にのたうち回る。
ベットの上で、カテーテルにつながれても尚も、自己抜去して、家に帰る!と暴挙する。
常日頃、子供達には「かくあるべし」と、豪語していたあのお爺ちゃんはどこに行ってしまったのか?
私は、そんな親が嫌なのでは無い。
死に向かう時の人間の壮絶な戦いは、沢山見てきたので知ってはいる。
人間は弱いもの、愚かなもの、だから一生懸命働いて、財を作り家を作り、守るしかなかったのでここまで来たが、死にゆくときには、無様な姿を見せるかも知れない、と聞いていれば、納得し受け止める事が出来たのである。
日本のどん底から這い上がり、この時代の人達が、日本を背負ってきた功績は確かに大きいが、その親の側で、子供達も影ながら必死で協力してきて今がある。
そして、その時の子供たちが、今の高齢者である。
親の背中から学んだ良き事悪しき事を、伝えていかねばならないと思う。
今朝もまた、隣に住む5歳になる小さな巨人が、いつも通りの駄々をこねて泣き叫んでいる。
「行きたくないよー!」坊や。
「どうして行かないの!」ママ。
「イヤァー!」坊や。
「じゃあ、幼稚園には行かないのね?皆んなと会えなくてもいいのね?」
と、ママが決断すると、
「・・・イクゥ~❗」と坊やが折れた。
ママの勝ちである。
毎朝、こんなやり取りを、隣の婆さんは楽しみで聞いているのである。
今のヤングママたちは、背中ではなく、ちゃんと子供の目を見て育てているのである。
そんなママたちを、影ながら応援したいと思っている。