「100歳寿命」の長生きも、良し悪し

若い頃から、

専門職の仕事をしていたせいか、

私が、

「隠居暮らしの年寄り」になった、今でも、

たまに、

もと生徒さん達が

顔を見せに来てくれる。

 

人生の終わりに近づき、

もはや教えることも、

知らせることもなかったが、

若い人達の、新鮮な話に、

興味深さもあった。

 

昔なら、

高齢者と呼ばれてもおかしくないほどの、

「50歳後半」の夫婦の会話を聞いていると、

「まだまだ、若い!」

 

妻が夫の意見に楯突くなど、

もってのほかの、

私たちの時代と違い、

「ハラハラするような言葉」で、

夫に対して、不平不満を言う。

 

「65歳を過ぎた頃」からは、

国も認める高齢者の仲間入り、

少しは、妻が我慢をしているようだが、

本来、女が長生きのデータで、

「誰に介護してもらうの?」と、

ピシャリといわれると、

夫は何も言えずに、下を向く。

 

「75歳を過ぎた頃」には、

半分以上、

「妻が、夫を見送り」

やっと、自由な一人暮らしで、

謳歌しているようにも感じる。

 

しかし、

「85歳をすぎる頃」には

妻も動ける内は、

老後暮らしも、楽しいが、

身体はガタガタ、頭はボケて、

困り出し、

「せんせいたすけて!」と、言ってくる。

 

その時には、

助けになる夫も、おらず、

子供たちも、そこそこの高齢者、

致し方なく、

国や、行政や、赤の他人に、

お世話にならざるを得ないのである。

 

女の一生

「100歳寿命」の、長生きも、

良し悪しであり、

花も身もあるうちに、

静かに消えてゆくのも一つである。