日常の中の幸せ。

「頑張ろう!今出来ることをやっていこう!
私がついてるからね。」
時々、こんなおせっかいおばさんがいる。
ボケるから、外出する。
今のうちに、旅に出る。
食べれる間に、外食しよう。
歩ける間に、山登り。
高齢者は、こんな風に励まし合う。
悪くはないと思う。
しかし、元気な人を見ただけで、病を抱えている人は、余計に落ち込む人もいる。
旅のホテルで、明日のスケジュールにしんどいと思っている人もいる。
食欲はないが、誘いを断れない場合もある。
あちこち痛くて、家が楽、と誰かに言えない時もある。
誰しも60歳を超えてくると、先の時間が見えてくる。
後何年、後何ヶ月、後何日と考え出すと、
今のうちに元気な間にと、無理をして、急ぎ出す。
好きなこと、楽しいこと、幸せなことを必然的に選ぶのである。
若い頃から、美味しいものを食べ、見たい所には、そこそこ行って来たはずなのに、まだ足らない。
そんな元気な老後も、或る日突然、降って湧いたように身体が動かなくなる羽目に陥る。
習慣病が悪化して、本格的な疾病となったり、
余命宣告されるほどの病に侵されたりと、もう人ごとではない自分ごとに襲われる。
「なんで私がこんな目にあうのか!」
「誰にも迷惑かけず、生きてきたのに!」
「神様、助けてください!」
と、内なる自分と向き合って行くのである。
そうなったときに、悔いのないよう、美味しいものいっぱい食べて、行きたいとこいっぱい行って、
「やっぱり、好きなことしてきて良かった!」
と言えるのか。
走り抜いてきた人生の疲れが出てきたら、
ゆっくり歩む時間を選んでほしい。
バタバタ忙しい日々の中ではなく、ゆったりとした日常の中に、今まで見えなかった小さな喜びや幸せを見つけることがある。
心の奥深いところで、いつも納得できず、
それでも納得したふりをして、
「本当に幸せ、ありがたい」
という綺麗事ではなく、
変わらぬ日常の中で、小さな出来事の中で
探すのも良いかも知れない。