整理整頓

いらないものを捨てて、いるものを配置する。
昔の四文字熟語のように、古びた響きがある。
時々、テレビで、御宅訪問の番組がある。
美しい、若い女性の自宅にいきなり訪問、行く方も行く方だが、簡単に、入れる方もどうかなと心配してしまう。
ドアを開ければ、玄関先は、足の踏み場もないくらいの物が散乱、部屋に入れば所狭しと、物が溢れている。
これじゃあ、収納する家具はいらんかも。
最初の頃は、
「ふぇー!どうなってんのん?こんな人、嫁にきたらどうしょう!」
と、私ごとである。
しかし、最近、見慣れたせいもあり、驚かなくなったし、見ようによってはその人なりの個性とスタイルが垣間見えて来る。
私自身は、整理整頓魔と言われるぐらいですから、家族がいるときは、掃除に明け暮れた生活をしていた。
夫は使った爪楊枝一つ捨てず、置いたところが、収納場所である。
よって、結婚した時からガラクタ持参であった。
「捨てた!捨てない!」
の喧嘩腰の生活である。
こうなると、責任問題も発生するので、夫のものはレシート一枚捨てる事なく、大きな段ボールに、「夫の私物」と書いて、亡くなるまで保存していた。
「あれ、どこにある?」
と、とつぜんの質問にも、
「はい、ここにございますよ」
と、涼しい顔して答えれば、喧嘩にはならず。
しかし、何十年分の夫の段ボールが増えて行く中で、私の中にも、段ボールと同じだけの重さのストレスが積み上がって行った。
最後まで添い遂げたが、長い別居暮らしになったのは、諸事情を理由に2人は同意していたが、本当の理由は、整理整頓の違いだけだったかも?
膨大な夫の残した遺品の前に座れば、夫の生き様が見えて来る。
夫の赤ちゃんの時の、色あせたレトロな写真の中に、海軍の軍服姿のお義父さん、若く、可愛いお義母さん、そして生前は仲の悪かった兄弟達が、手を繋いで写っている。
そこには、夫の永い人生が見えて来る。
夫にとっては、紙切れ一枚、いらないものがなかったのかもしれない。
そんな風に思った時から、いまだ、夫の遺品整理ができなくなった私がいる。