損な性格

周りを見れば、まるでスローモーションのようにゆったりと流れている中で、死に急ぐように、動いている私がいる。
寿命が伸びて、100歳までと言われてはいるが、一部の人の話である。
職業柄、人の死に向き合う事が多いが、やはり残された家族にとっても、人生の中での節目である。
亡くなるまでも心身ともに疲れるが、亡くなった後はもっと大変である。
お葬式が終わり、死亡届が出された時から、
追い討ちをかけるように、期間限定で処理すべき事が起こってくる。
若い人がいれば、なんとか助けてはもらえるが、年老いて一人になるとままならない。
ましてや、亡くなった人が、し残した事ややるべき事を断念して放置していた場合、責任は、遺された人にかかってくる。
長い人生の中では、家族であっても近くにいても、知らないことの方が多いのである。
死んだ後では言い訳も弁明もできず、遺された人も、何が出て来ても文句を言う相手はいない。
相続争い、経済的な不安、孤独への恐怖など、様々な問題が、あちこちで勃発している。
生きている間にできる事を後回しにすれば、
穏やかだった暮らしが一変する。
「その時が来たら、その時よ」
「好きな事して死んだらいいんよ」
と、友人達は、生きてる今を楽しんでいる。
「好きな事」のない私は、「せねばならない事」に、毎日を費やしている。
どこまで行っても、貧乏性の性格に自分が呆れてはいる。
春夏秋冬、味わう暇もないほど、移り変わる時間がスピードを増して行く。
「これが、片付いたら、ゆっくりしよう。」
と、思いながら死んで行く私がいる。