会いたくない人

聞きたくない話、見たくないもの、そして会いたくない人は、それなりにあると思う。
しかし、日本も世間も狭いので、偶然出会うことがある。
こちらが先に分かれば、知らん顔してその場を離れることはできる。
エスカレーターやエレベーターで会ってしまうと、びっくりであるが逃げられない。
何も悪いことしていないので、普段は脳裏にないが、同じ市、同じ地域に住んでいれば、確率は高い。
「キャー」と、心で叫ぶが、あとで落ち着いて考えてみれば、
「お久しぶり」位言えば良かったと思う。
「会いたくない人っている?」
と、友人達に聞くと、
「別にいないわ!会ったっていいやん!」
そう言われると、堂々と生きてる友人達に、一歩引いてしまう自分がいる。
長い人生の中で、自分にとって都合のいい人ばかりではないし、生理的にかなわん人もいるし、考え方が全く違う人もいる。
会いたくない人は、そんな人達ではない。
仮面の下にある醜悪な心根を隠し、簡単にルールを破り、残酷な事を平気で行なっていることに気がつかない人である。
そう言う人は、他人の心を、鋭い刃物で傷つける。
だから、二度とお目にかかりたくない。
他人であっても身内であっても、できれば死ぬまで、会いたくないのである。
「そうはいかんでしょう!常識的には!」
と言う人もいる。
子供のいじめ問題も、どれほどの子供達が、傷ついたり、命を失ってきた事か。
親も学校も教育委員会も、何一つ手を打たない。
そんないじめをする子供のいる学校など、行かなければ良い。
会わなければ、死ななくて良かったと思う。
「学校だけは行かんとね!常識的には」
など、追い打ちをかける大人がいる。
どちらが非常識かを考えてほしい。
人は皆、安全な場所で、安心な人に守られて生きる権利がある。
だから、聞きたくない、話したくない、会いたくない人がいても、不思議ではない。