転職を希望へと繋げる

私達団塊の世代は、大学を出てそこそこの企業に就職すれば、定年まで勤め上げるのが普通であった。
まあ、言えば、一つの会社に一生を捧げるのである。
現在は、公務員は別だが、大企業のサラリーマンも銀行員でさえ、転職する時代である。
面白くないから辞めた。
将来不安で辞めた。
上司が嫌いで辞めた。
理由は様々だが、とんでも転職の例もある。
いきなり、芸人に。
花形のIT企業から、アフリカで先生になる。
人生は一回こっきり。
ノーベル賞の山中先生の様な、崇高な目的がないかぎり、転職は大いに賛成。
私も、40代から転職をした。
或る日突然、海外のファッションの輸入販売から、介護施設の汚物処理担当に変身した。
女性の虚飾と美学の世界から、一番遠い場所が高齢者の施設であった。
次は何をしようかと、心の中であみだくじ。
出来もしないのに、
「人のために役に立つ仕事」
を優先したら、ここしかないと思ってしまったバカな私がいたのである。
紙オムツも使わない時代で、布おむつの洗濯。
「嘘でしょ!明日、ヤンピしょう!」
便や尿は、普通では落ちにくいが、特別な洗剤や薬品、やり方で、真っ白に出来上がる。
「なるほど!知識を学べるかも!」
単純な私は、ヤンピを留まったのである。
毎日、人の便と尿に向き合ううちに、
「この便は、〇〇さんのオムツです。」
「今日は体調よろしくないかも!」
顔も見ないのに、わかる様になっていった。
排泄物研究員から始まって、介護、医療を現場で学び、次々に資格を取得して、気がつけば、大学の教壇で、鞭(べん)を取る仕事に到達していたのである。
笑い話の様な話ではあるが、女性を美しく着飾る仕事も楽しかったが、
「人の為に」と、願った仕事は、私の根幹を変えるほどのものであった。
いい加減に生きて来た40年も私の大切な時間であり、あみだくじで決めた後の30年も、
すこぶる充実した時間であった。
すぐにヤンピヤンピという私に、奇跡を見せ、
背中を押してくれた誰かがいた。
一つのドラマが終われば、新しいドラマが始まる。
もう、次のドラマの構想に向かっている私がいる。