健康診断と、ストレスチェック

最近は、

公務員も、大きな企業も、

健康診断と、

精神的なストレスチェックは、

ワンセットである。

 

一昔前は、

企業戦士と呼ばれて、

家にも帰らず、

無理が祟り、大病は当たり前。

 

パワハラ、セクハラ、

当たり前のような時代の中で、

ピカピカの新入社員も、

一年も経たない内に、

精神が、壊れてゆく。

 

現代においては、

表向きは、

「決して有るまじき事」として、

厳しく、取り組んでいるが、

 

社会制度が、多少変わろうが、

人間の「悪の本質」は、

残念ながら変わらない。

 

あまりに、

個人の自由が、まかり通ると、

秩序が乱れ、

会社の「社格」が、落ちてゆく。

 

職場や現場でも、

高齢の人が、エビデンスに基づかない、

感情論で、

いい加減な慣習を押し付けたり、

 

若者は、年上であっても、

「マナーをわきまえない」

言葉が、飛び交う。

 

ひたすら、真面目に、

働く人に対して、

揶揄ったり、無視したりと、

陰湿なものは、無くなってはいない。

 

腹に据えかねるような、

「人間否定」の、言葉を言われたら、

毅然と、

「その言葉は撤回してください」

と、相手に、言えれば、

ストレス障害は、発症しないのである。

 

秩序も、知性も無くした、

民主主義国家日本が

しなければならないことは、

経済だけではないのである。

 

 

 

ワクチンは、ビタミン剤?

朝から、

4回目のワクチンを、

打ちに、出かけた。

 

友人が、

モデルナのワクチンを、

昨日打って、夜中に高熱が出たと言う。

 

打つたびに、

不信感と不安感に、襲われるが、

生命に関わる、リスクは、

防御せねばならず。

悩みながら、打ち続ける。

 

いつまで、続くのか、

定かではないが、

その内、コロナに罹るまえに、

寿命が来たら、「打ち損」となる?

 

たった一本の、ワクチンに、

心は乱れ、迷い、

経済は、落ち込み、

医療は、崩壊して

もはや、落ち着いた暮らしなど、

期待はできないようである。

 

改めて、

「ほんで、効くのん?」と、

誰に聞いても、首を傾げる。

「打たないより、ましちゃう?」

と、いい加減な答え。

 

どこまで行っても、

「みんなで、打てば怖くない」

主義が、

日本では、まかり通る。

 

数百年後の未来、

今回のコロナ禍は、

歴史に刻まれるが、

進歩した医療が、

「ワクチンは、ビタミン剤でした!」

と、言っても、おかしくない?

 

人間を混乱させない為の、

プロパガンダの「特効薬」

誰一人、

見たこともないウイルスに、効く薬など、

数ヶ月で、

「作れるわけがないでしょう」

 

先生は、笑いながら、

古い、歴史の本の、ページを、

ゆっくりと、

閉じる日が来るかも知れない。

「宗教学」と」信仰心」

かつて、

「政治」と、「宗教」は、

全く別次元であって、

結びつくものではないと、

理解していた。

 

政治は、「リアルな世界」であり、

宗教は、「スピリチュアルな世界」

と、言う認識が、覆されている。

 

日本人は、

「勤勉で誠実」と、言われていたが、

かくも、「不誠実」であった事が、

暴露されている。

 

泥縄の如く、

ズルズルと、引き摺り出されていく、

政治家、企業マン、芸能人の、

裏の顔(サタン性)が、

テレビに、映し出されてゆく。

 

次々と、

あからさまに、なってゆく、

為体と、無責任さ、

そんな「一部の人達」が、

氷山の一角に、見えてしまう。

 

日本の宗教と言えば、

神道、仏教、キリスト教が、

歴史的にも、文化的にも、

一般的である。

 

それ以外は、

新興宗教」と呼ばれ、

未だ、胡散臭いイメージがある。

認められるには、

何千年の、時間を要するのである。

 

「教え」事態に問題はなくても、

入信すれば、

献金」や「物販」など、

お金が絡む話が、問題となる。

 

友人達の中には、信者もいるし、

一度は、

お話聞きに行ったと言う人達も

多くいる。

 

唯一、

今、問題の「宗教法人」だけは、

莫大な金額が、動いていることも、

知る人ぞ知る現実で、

蜘蛛の糸のように、広がって行った。

 

宗教とは、

人間としての、

哲学、倫理観などを学び、

自分自身の内的なものを、

向上する為に、

一人静かに、

向き合うものと、思って来た。

 

ただ、私の場合は、

福祉や医療に、関与する仕事であり、

その原点である

キリスト教」だけは、必然であった。

 

聖書から始まり、御言葉を解読し、

歴史的、資料に、関する参考本は、

頭で、学んで行った。

 

「宗教学」は、学んだが、

そこには、

「信仰心」は、生まれてはいない。

 

本当の意味の、

「与える人」

「命を救う人」に、

応召義務が、備わっていたかは、

教える側に立って、

「疑問」が、今も、心に残っている。

 

 

 

 

 

 

悲劇の連続は、止まらない

日本の上空を、

巨大な台風が、居座っている。

 

元来、

あっという間に、

過ぎ去るのが、台風である。

 

荒れ狂う、暴風雨も、

一夜開けると、

嘘のような、青空となる。

台風は、

「秋の訪れ」の、はず。

 

何もかもが、想定外、

期待はずれの、出来事に、

うんざりしている。

 

気がつけば、

親しい人達とのメールも、滞り、

繋がった糸が、遠ざかる。

 

「春が来た!」

と、思う間も無く、

「梅雨が来て!」

知らない内に、

「夏が来た!」

季節の変容に、翻弄される。

 

コロナで、命を落とし、

熱射病で、倒れ、

暴風雨で、家が人が流される。

誰にも、止めようもない、

悲劇の連続は、止まらない。

 

いつか、何処かで、

こんな光景を、観たことがある、

旧約聖書「出エビプト記」の

壮大なアニメ。

 

「唯のマンガ」の中にも、

見落とせない真実が

数千年前にも、あった事が、

今も、心を、よぎっている。

 

 

 

 

小さな「きっかけ」が、

一人の人間が、

誰かを救う事は、

非常に、難しい。

 

しかし、

奇跡的にも、

違う道が、ある事を、

教える「きっかけ」には、

なる時もある。

 

知り合いから、連絡を受けて、

駆けつけた、玄関先に、

その人は、倒れていた。

 

頭下には、

お弁当の空き箱が散乱し、

あてがわれていた、

汚れたオムツが、異臭を放っていた。

 

認知症もあり、

身動きも取れず、

人を受け付けない、高齢者に、

お手上げ状態の、

無責任な、福祉事業所。

 

介護を拒否する、利用者に対して、

お弁当を、届けるだけのケアは、

どんな理由があろうが、

明らかに、「放置」である。

 

すぐさま、

救急車を呼び、身体を、動かすと、

背中の下から、

無数のゴキブリが、逃げ出した。

 

息を飲むほどの、

悲惨な状況から、

古い病院の一室の、ベットに運ばれた。

 

私は、

彼女の身内でもなく、

事業所の関係者でも、無かったが、

責任の所在や、

決められた制度を、

度外視しての、行動を取った。

 

其の後、風の便りで、

治療が施され、

生活保護」制度により、

新しい住まいで、落ち着かれた。

 

在日でもあり、

言葉も心も、閉ざされたまま、

悲しみのなかで、

生き抜いてきたと、聞いている。

 

一瞬の出逢いの中で、

私は、彼女側に立ち、

病院や、事業所に、対応した。

 

お互いの、過去も知らず、

関係性も、無かったが、

細い糸が、手繰り寄せられて、

奇跡的な、出逢いであった。

 

今でも、

小さな「きっかけ」の、

一つとして、

私の記憶の中に、

大切に、保管されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「記憶も、思い出も」エネルギーの源

朝の「蝉の声」が

小さくなって、

夜には、

「虫の声」が、聞こえてくる。

 

台風が、やって来る前に、

精一杯の生命を、

育んでいる。

 

人間も、また、

其々の立場で、見えない敵と、

精一杯闘っている。

 

大人達の、変化を感じて、

子ども達は、明るく、元気に、

来る未来を、諦めずに、

若者達は、走り続けている。

 

社会から、

離脱した高齢者達は、

薄れゆく記憶を、辿りながら、

「救われてきた真実」に、

思いを馳せている。

 

人間にとって、

「記憶も、思い出も」

エネルギーの源であり、

全て、含んだ上の、

我が人生である。

 

歳を重ねて、

薄れてゆく記憶は、

もはや、取り戻しは出来ないけれど、

「新しいドラマ」は、

今も、記憶を創り続けている。

 

緞帳が、降りるときには、

せめて、美学で、

幕を、引きたい希望はある、

 

子供達に「真実」を、伝える為に

騙し絵のような、

カンカン照りには、

最近は、慣れっこである。

 

洗濯日和も、

「一天にわかに、掻き曇り」

スコールとなる。

 

世間も、天気も、

想定外の、混乱期。

「こんな事、生まれて初めて!」

と、口を揃えていうけれど、

 

悪しき事も、良き事も

想定内の、人生であったはず。

 

ミサイルが飛んでこない街で、

値上げがあっても、

食べたいだけ食べて、

なにより、

教育の場が、あるだけでも、有難い。

 

今日まで、平和すぎて、

子供達に、

教えようもなかった悲劇が、

世界中で、繰り広げられている。

 

スマホゲームの中の戦いは、

絵空事ではない事を、

罪もない子供達の命が、

理不尽にも、失われる事を、

自分事として、

受け止めれる人間に、ならねばならない。

 

子供達に、

「真実」を、伝える為に、

大人達の言葉や、行動が、

今、問われている。