「ていの良い座敷牢」には住みたくない

キッチンのガラス窓から、

朝が始まる。

目覚まし時計がわりの、

朝の光が、時間を知らせる。

 

私的には、

「病院の特別室」に、

住んでるみたいな、

ワンルームと称している、

 

ベットから、起きたら、

側には、

食事から勉強机がわりの、

大きなテーブル、

後は必要不可欠の、

キッチン、バス、トイレだけ、

 

両手いっぱい広げて、

ちょうど位の、私のエリア、

隠れ家的にも、

年齢的にも、

気持ち的にも、

すこぶる快適な住処である。

 

大きな家で、

「はい、お婆ちゃんのお部屋よ!」

と、あてがわれても、

誰にも会えない、

「ていの良い座敷牢」みたいなもん、

「まっぴらごめん!」

と、思ってる。

 

不自由になった身体で、

大きな家での家事と維持は、

難しい。

 

気持ちは、

代々、守り続けたこの屋敷、

一生懸命働いて、建てた家、

死ぬ時は、ここで死ぬ!と、

頑張ってる高齢者も、いなくもない。

 

「人生100歳時代」

と言われても、

長寿と肉体は比例して、衰える。

 

どれほど、立派な、

老人施設も、

医療が整った病院も、

生きてはいても、

白い壁と、白い天井の世界だけ、

 

最後のライフプランに、

段差なし、仕切りなしの、

シンプルな部屋、

明るい太陽の光と、

美しい夜空が見える窓、

元気な子供達の、

声が聞こえる場所が、あればいい。