希望的観測では無く

テレビやパソコンから、

死のカウントダウンが、

押し迫る映像が、流れている。

 

気分が悪くなったり、

ひどくなると、

「見るのは避ける様に」と、

医療機関からの勧告注意もでている。

 

確かに、

「それと、これとは別」

他人事とは、

思えない程の、状況である。

 

美味しい食事をしている時も、

温かなお風呂に、入っている時も、

物に溢れた、スーパーに行っても、

生命の危機に直面している人達の、

涙が、頭から離れない。

 

世界のどこかで、

侵略、戦闘は、常に起こっている、

現代の情報社会が、進歩して、

瞬時で、克明に報道されて、

私達の家庭に、送られてくる。

 

聞かなければ、

見なければ、

知らないままに、日常が過ぎてきた。

 

今は、手にとる様に、

心情さえも、伝わってくる、

この臨場感に、

人ごとでは無く、自分ごとの様に、

不安と恐怖が迫ってくる。

 

昔は、

好きな時に、好きな国に、

簡単に、行けたが、

やはり、

主義も、文化も違う国では、

テロも、デモもない日本とは、

空気感が違っていた。

 

昨日、通った、

トルコの橋が、爆破されたり、

フランスの銀行の中に、

ライフルを持った警備の人がいたり、

いきなりのクーデターに、

飛行機が、飛ばなくなったり、

 

そんな歴史の、境界線を、

くぐり抜けて、

無事に、生きて帰れた事が、

奇跡かも知れない。

 

水面下では、常に背中合わせの様に、

戦闘の火種はあった。

誰かが、その小さな火種を、

燃え上がる炎に、変えてゆく。

 

希望的観測では無く、

私達は、厳しい現実を受け止めて、

諦める事なく、

対処していかねばならない。

 

ウクライナの人達が、

自由の為に、地球を守る為に、

戦う姿を、

目に焼き付けて、生き抜かねばならない。