「夏の風情」も消えてゆく

真夏の夕暮れ、

父に言われて、

「庭の水まき」

 

たいした庭でもないのに、

休みの日には、リビングから見える、

芝生の緑が、

「ご自慢」で、ビールをのみながら、

ご満悦であった。

 

そんなに好きなら、

自分で、水撒き位すればいいのにと、

「親の身勝手」に、

心の中は複雑であるが、

 

この時代は、

地震、雷、火事、親父」

の、怖いものの一つになっていて、

抵抗できず、親の言いなり、

 

「カラカラ」の葉っぱや幹が、

「みるみるうち」に、うるおって

水滴の光で、生き返っていく様は、

圧巻であり、気持ちいい。

 

最近の

「夏の気候」は、

当時の自然体系とは、大いに違い、

人間すら、

炎天下の中を、うろうろできないほど、

危険である。

 

ホースを持って、

優雅に、涼しげに、

水やりなどの、

「夏の風情」も、消えてゆく。