命かお金か。

比べれるものでもないが、よく人は、
「命と比べたらお金なんて!」
「最後はお金じゃないから!」
と、言う。
では何故に、高齢者になると同時に、その人の、資産の管理や相続の問題が浮上するのか?
自分が稼いだものでもないのに、親子、血縁関係という繋がりだけで、当たり前のように、物もお金も自分のものになると思うのか?
身体が不自由になれば、自分の通帳も印鑑も
手元から消える。
確かに冥土の土産にお金は必要はないが、
その人の人生の確かな証明になるものであり、お金は、目的の手段だと考えれば、最後まで、
本人の意思で誰に何のために託すのかは、
大切な事である。
私の知り合いに、「親父貯める人、僕使う人」と、年老いた親の前で言ったアホがいる。
長きにわたる人生の中で、お金は、決して同じ場所で止まってはいない。
入った瞬間に出ていくし、やっと握りしめた手の平からこぼれ落ちる事もある。
人生いかがでしたかと聞けば、
「まあまあ、健康に恵まれ、子供達も何とか自立して、おかげさまで、コツコツ働いて来たので、経済的にもぼつぼつ余生は遅れますわ」と、答える。
さらっと答えてはいるが、そこに行き着くまでに、どれほど壮絶な出来事を乗り越えて来たかわからない。
お金をたっぷり貯めて、富裕層の仲間入りした人も、自分がお金を得たが故に、周りの人間一人や二人死んでいたかもしれない。
お金は宝だが、反対に、力となって武器に変わる。
今の世の中、新興宗教のごとく洗脳され、老若男女が、お金持ちになれば、人格もレベルも魂さえも、ステージが上がると思い込んでいる人たちが増えて来た。
つい最近、若い孫が、自分のやりたい仕事の事業計画を、お祖母さんに語り、資金援助を依頼しに行き、頭を下げた。
お祖母さんは、話を聞いて、
「お祖母ちゃんを、貴方の夢に、一緒に参加させてもらえたら嬉しい」と、答えた。
素敵な話である。