百合と芍薬

朝早くから、新聞紙にがさっと丸めた大量の百合と芍薬の花束を、届けてくれた。
まだ水揚げもしていない内に、近所の花屋から買って来たという。
手慣れた手さばきで、余分な葉を落とし、潔くパチンパチンとハサミで茎を切って、花瓶に生けて行く。
さすが、お姉さんはすごいなと感心する。
クリスタルの膝まである長いガラスの花瓶に、
真っ白なカサブランカが、凛として存在感を放っている。
もう一つのクリスタルは、丸みのあるバケツ型のガラスの花瓶。
ぎゅうぎゅう詰めの葉っぱから、まん丸の芍薬の可愛い蕾がたくさん顔を出している。
このキュートな蕾から、数え切れないほどの花びらが幾重にも重なり、咲いた時には、日本画のアートの美学である。
母が倒れて、約3ヶ月。
仕事と介護の両立で、朝ベットから起き上がることすらできない状態になっていた。
脳は停止、目は虚、歩行は屁っ放り腰、体には鎧をつけたがごとく重い。
そして意欲低下。
明らかに、過労である。
老いを素直に受け止められない母を励まし、
訪問ドクター、看護、ヘルパー導入して環境を整え、在宅での暮らしを設定。
なんとか目処が立った時期ではあったが、
気が付けば、こちらも老老介護であった。
普段はあまり優しい言葉もかけないマイペースの姉が、「たまたま、花屋にたくさんあったからね」と、気遣ってくれたことが嬉しかった。
そして、殺風景な無機質な部屋の中に、生きた花の波動が伝わり、私の中のエネルギーが静かに回転しだしたのを感じている。