本当のありがとう

「今まで、言ってきたありがとうには、心はこもってないの。
もう、自分が死を確認してから言うありがとうは、本当のありがとうなの」
と、93歳の女性が、呟いた。
結婚生活50年を経ても、夫は何につけても、頑固なまでに、妻に心を込めてありがとうを言わないらしい。
妻にしても、一度はきちんと襟を正して、言われたら、長い人生色々あれど、水に流してもいいかなと、すこしは思い、夫の方も、言いたくないわけではなく、改めて言うほどのチャンスもなかっただけかもしれないと、思いながらの長い月日。
ハンカチ取ってくれてありがとう、車で送迎してくれてありがとうは マナーである。
妻もまた、お給料ありがとうは、言うでしょう。
求めるありがとうは、そんな簡単なものではないので、無視する相手に、腹がたつ。
結婚式のあの約束は、あの誓いは忘れてはいないが、何層にもなった雲の様に、霞んでしまって、見えにくい。
大切な人生のパートナーとして選択し、病める時も、守り、助け合うって約束した話はどうなってしまったのか?
しかし、人間は年老いて、自分がどうにもならなくなり、死と向き合う時が、いつの日か、誰にでも来るのです。
その時には、お茶やご飯を、運んでもらっただけでも、靴下を履かせてもらっただけでも、
「ありがとう」「ありがとう」と、
深い感謝の言葉が溢れ出す。
何も言えず、何もできなくなってから、
ありがとうだけを、必死で伝えようとする。
消えゆく意識の中で、間に合わすための、
最後の言葉を、語り継いで行くのです。